富岡 八幡宮
波除 八幡宮

- [社格]
旧 村社
御祭神※
- ※1
応神天皇 神功皇后 比売大神 - ※2
恵毘須神
口伝 全1件
- 投稿日:訪問日:評価:5“富岡八幡宮”
祭神 応神天皇
相殿 神功皇后、蛭子命、天照皇大神
境内社 祖霊社、稲荷社、熊野社
建久二年(一一九一)源頼朝が、富岡郷鎮護のため摂州難波の西の宮の末社を建立、御正躰を奉遷して以来、六月十五日と八月二十五日の両度の例祭を続けて来たが、安貞元年(一二二七)六月十五日の例祭当日、八幡大神があらわれ、「今日より吾を斎い祀れ、信心の輩は悪魔を祓い哀憐をたれ加護すべし」と託宣があり、即ち当社を八幡宮に斎い替えたと伝える。正中二年(一三二五)藤原貞泰大般若経六百巻を寄進、天正十四年以降領主の社殿修造も屡々行われた。寛永二年地頭豊島明重奉新造営の棟札裏書には「鎌倉鶴岡八幡宮去甲子年御造営の砌悉皆末社等迄畢 当社代々造営寉岡八幡宮被成処也 当社八幡是寉岡八幡宮御勧請被成故也 小破の時当地地頭可被成者也、仍而如斯為後證辛巳金沢竜華寺勒之、正年八十三才而是書」とあって、鶴岡八幡宮との深い縁故が知られる。
社家は鎌倉時代より佐野家が神主或は禰宜の職掌を世襲、徳川時代には吉田神道に属して、富岡郷八幡宮祠官の職名を以て神勤、一社の伝統を保持して来た。別当社僧職は寛永初期まで金沢の竜華寺で、その後は明治二年神仏分離に至るまで富岡の慶珊寺の職掌であった。領主は寛永初期までは豊島明重、寛永の中頃から元禄年中は八木高重の子孫、宝永以後榊原勝興の子孫が地頭であったが、何れも社殿の修造営に力をつくした。
明治維新に際して旧神号八幡大菩薩の呼称を廃して八幡宮と改め、同時に氏子区域を富岡村と定め、明治六年十二月村社に列格した。同十年境内鍾楼を撤去、金沢竜華寺に寄贈。大正二年三月神饌幣帛料供進神社に指定された。同十三年九月三十日豪雨のため境内丘陵崩潰し、本殿の覆殿一六坪と拝殿七坪を全潰したが、本殿は無難であった。同十五年九月二十五日拝殿の復興造営竣工を見た。(神奈川県神社誌より)
https://tesshow.jp/yokohama/kanazawa/shrine_tomioka.html
祭り・行事一覧(2023年度)※
時 期 | 内 容 |
---|---|
1月1日(日) | 歳旦祭/初神楽奉奏 |
2月2日(木) | 卯陪従・祈年祭/湯立神楽 |
7月16日(日) | 例大祭/祇園舟 |
時 期 | 内 容 |
---|---|
9月23日(土) | 秋季大祭/宵宮祭 |
9月24日(日) | 秋季大祭/湯立神楽 |
11月5日(日) | 卯陪従・新嘗祭/湯立神楽 |
鎮座地※
〒236-0051
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