海龍山カイリュウザン本泉寺ホンセンジ増徳院ゾウトクイン

挿絵
[寺格]
準別格本山ジュンベッカクホンザン

御本尊

[本尊]
秘鍵弘法大師ヒケンコウボウダイシ
[札所]
薬師如来ヤクシニョライ
[安置]
聖観世音菩薩ショウカンゼオンボサツ
  • 写真写真
    海龍山 増徳院
    投稿者飛熊Z
  • 写真写真
    観音堂
    投稿者飛熊Z
  • 写真写真
    本泉寺増徳院
    投稿者kozonagai

口伝 全1件

平均評価(1件中): 5
  • 投稿者飛熊Z
    (123件)
    投稿日:訪問日:
    評価:5“海龍山 増徳院”

    横浜市南区平楽にある増徳院は高野山真言宗準別格本山のお寺で海龍山本泉寺増徳院という。大同年間(9世紀初頭)の創立といわれているが、記録は残っていない。現在の元町プラザの場所にあったお寺である。古くから町の人たちの信仰の中心的存在であった。関東大震災後、昭和3年(1928年)に南区平楽103に再建され、戦災を経てそのほとんどが平楽へ移転した。現在、元町にあるのは、昭和47年(1972年)に再建された薬師堂のみである。
     幕末になって、この寺の墓所をペリーの意向で外国人の墓地に提供したことから現在の「山手外国人墓地」が誕生した。ペリー艦隊のミシシッピ号船員ウィリアムズの葬式が行われたときは、葬儀の列は街中を太鼓の音に合わせて行進し、住民たちは家や店から出てきて見物した。そのとき埋葬された場所は増徳院の境内の丘であった。しかし、日米和親条約によって伊豆下田の玉泉寺に米国人用墓地が作られることになり、ウィリアムズの遺体はこの3ヶ月後に玉泉寺に改葬されている。また、こうした太鼓は戊辰戦争には官軍に取り入れられている。
     新四国東国八十八ヶ所霊場(http://park3.wakwak.com/~kame/tougoku/tou88bun4.htm)では、第40番札所の増徳院の写真には現在のような唐門はなく、門柱があり、向かって右には「高野山真言宗準別格本山 増徳院」、左には「宗教法人 地福寺」と表札がある。最近になって門柱に代わり山門が建立された。
     昭和初期には横浜市の丘陵地ならこれ程広大な敷地境内を確保できたのだろう。現在では増徳院境内に地福寺本堂が建立されている。したがって、この1箇所で東国八十八ヶ所霊場の第40番と42番札所をお参りできる。
     本堂屋根には菊の花にしては少し違うような、それでいてタンポポの花のような飾り瓦が上がっていた。寺務所でお坊さんに聞いてみたが知らないという。気になる飾り瓦だ。
    https://4travel.jp/travelogue/10799598

所在地

〒232-0035 神奈川県カナガワケン横浜市南区ヨコハマシ ミナミク平楽ヘイラク103

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