名称・別称

乳山チヤマ八幡宮ハチマングウ

  • 大蔵八幡宮オオクラ ハチマングウ
挿絵

御祭神

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    2022年お正月
    投稿者mohayatada
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    一の鳥居と奥に二の鳥居が見えています
    投稿者mohayatada
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    御神徳絵図 『神功皇后、武内宿禰、応神天皇』
    投稿者mohayatada

口伝 全2件

平均評価(2件中): 3
  • 投稿者mohayatada
    (20件)
    投稿日:訪問日:
    評価:3“御神徳絵図”

    当社祭神第十四代仲哀天皇の忠臣武内宿禰は天皇を常にお助けし、まさに東奔西走され数々の軍功をたてられた。天皇崩御の後も御后神功皇后にシ候し、当時九州騒乱の源であった朝鮮半島への出兵においても常に先陣に立ち、常に日本安泰の為に心骨を注がれた。神功皇后の皇子つまり第十五代応神天皇の御養育にも心身を尽し応神帝政治にも勲功を積まれた。特に皇后は皇子をいつくしみ育まれたが武内宿禰は欠かさず養育の手助けをされ、立派なご成長を見届けられるのである。子育て養育に御神徳高き神功皇后にも仕え、政治軍事の相談役として、又、応神帝の御養育にも誠心を以って仕えたのが武内宿禰である。今般崇敬の念篤き氏子幾名相議り氏子後世に其の御神徳を語り伝え仰ぎ慕わんと御神殿程近に絵画を建立す。

  • 投稿者mohayatada
    (20件)
    投稿日:訪問日:
    評価:3“乳山八幡宮の御由緒”

    小倉(尾倉)庄(尾倉村・前田村・大蔵村・枝光村・戸畑村・若松村)の宋社たる豊山八幡宮に参詣するに程遠き大蔵村の里人は我が村に豊山八幡宮を勸請し、大蔵村(大蔵・中河内・田代・中尾・猪倉)の産土神(うぢがみ)を御創建せんと、寛文二年(1662年)八月廿一日崇祭す。この地は一七〇〇有余年の往昔御祭神、神功皇后が更暮山にて国見し給いし後、乳山の山麓にて皇子(後の応神天皇)に、御乳を与え給いし、聖地を産土神様御創建の佳き地と選びて創建し今日に至る。                   想うに、この高所にて、朝鮮半島出兵、九州及び半島の平安無事を祈られ給うと共に、皇子の幸多からんを祈られつつ御乳を与え給うを図り想えば、実に縁深かりし所に鎮座ましまされたと拝される。

鎮座地

〒805-0048 福岡県フクオカケン北九州市八幡東区キタキュウシュウシ ヤハタヒガシク大蔵オオクラ2-16-33

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