秋田 大仙市

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諏訪神社
- 大仙市大曲上大町12-22
大川寺
- 大仙市大曲須和町3-1-26
安養寺
- 大仙市大曲浜町6-59
勝軍山神社
- 大仙市南外深沢26・27
八坂神社
- 大仙市清水沖郷天王40
伊豆山神社
- 大仙市花館揚ノ森1
小沼神社
- 大仙市豊岡小沼山3
本誓寺
- 大仙市大曲浜町6-53
満勝寺
- 大仙市北野目北野目14
船玉神社
- 大仙市協和船岡向小沢13・14
善法寺
- 大仙市長野六日町123
長福寺
- 大仙市花館上町11-9
常泉寺
- 大仙市南外字揚土139
浄蓮寺
- 大仙市角間川町東本町82
唐松神社
- 大仙市協和境下台94
今木神社
- 大仙市協和峰吉川滝沢99
強首神社
- 大仙市強首強首103
満友寺
- 大仙市内小友舘前118
鹿島神社
- 大仙市清水上大蔵120
見秀寺
- 大仙市蛭川上屋敷207
三倉神社
- 大仙市協和船岡合貝92・93
少彦名神社
- 大仙市南外平形1
聚泉寺
- 大仙市大曲緑町11-17
南陽院
- 大仙市高梨上川原99
古四王神社
- 大仙市大曲古四王際30
法久寺
- 大仙市大曲丸の内町12-3
普洞院
- 大仙市刈和野81
願龍寺
- 大仙市刈和野466
八幡神社
- 大仙市大曲丸の内町4-6
宝泉寺
- 大仙市土川半道寺25
秋田の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。