秋田 神道 祭神

品陀和気命(応神天皇)
『品陀和気命』は、第15代天皇『応神天皇』の諱(いみな)。父『仲哀天皇』、母『神功皇后』の間に生まれた第四皇子である。
御祀りをしている施設一覧※
八幡秋田神社
- 祭神:品陀別命
- 秋田市千秋公園1-8
日吉八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 秋田市八橋本町1-4-1
鷹巣神社
- 祭神:誉田別命
- 北秋田市宮前町10-35
八幡神社
- 祭神:誉田別命
- 由利本荘市船岡家ノ下170
十文字神社
- 祭神:誉田別命
- 横手市十文字町大道東82
白幡神社
- 祭神:誉田別天皇
- 秋田市外旭川水口字山崎341
金峰神社
- 祭神:與田別命
- 仙北市田沢湖梅沢東田235
八幡神社
- 祭神:誉田別之命
- 由利本荘市谷地町50
高尾神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市雄和女米木高麓沢74
船玉神社
- 祭神:応神天皇
- 大仙市協和船岡向小沢13・14
大森神社
- 祭神:誉田別尊
- 横手市大森町高口下水戸堤1
貴船神社
- 祭神:誉田和気命
- 湯沢市深堀宮伝117
大日靈貴神社
- 祭神:大鞆和気命
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
天照皇御祖神社
- 祭神:大鞆和気命
- 鹿角市八幡平谷内14
森吉神社 里宮
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
八幡神社
- 祭神:誉陀別命
- にかほ市平沢上町4
松ケ崎八幡神社
- 祭神:応神天皇
- 由利本荘市松ケ崎宮の腰102
米内沢神社
- 祭神:応神天皇
- 北秋田市米内沢寺ノ上1
鶴ケ崎神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市雄和下黒瀬上谷地157
新波神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市雄和新波樋口16
三輪神社
- 祭神:誉多和気大神
- 雄勝郡羽後町糠塚家岸26
飛鳥神社
- 祭神:誉田別命
- 由利本荘市川口上菖蒲崎6-16-2
金足神社
- 祭神:品陀別大神
- 秋田市金足高岡二本松3-1・4
強首神社
- 祭神:応神天皇
- 大仙市強首強首103
鹿島神社
- 祭神:応神天皇
- 大仙市清水上大蔵120
太子神社
- 祭神:誉田別之命
- 由利本荘市西目町出戸町字堀切110
十二所神明社
- 祭神:応神天皇
- 大館市十二所元館107
日枝神社
- 祭神:応神天皇
- 秋田市河辺三内田尻87
高岩神社
- 祭神:応神天皇
- 能代市二ツ井町荷上場五輪台23
鹿渡神社
- 祭神:誉田別皇命
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
秋田の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。