秋田 神道 祭神

名称
建御雷之男神
『古事記』では、高天原から地上の支配権を譲り受けるため降り立ち、建御名方神と力くらべをしたとされる神。このときの戦いは相撲の起源とも云われる。
- 主な奉祭先
鹿島 系列春日 系列
総社神社
- 鹿嶋神社
- 秋田市川尻総社町14-6
八幡
秋田神社 - 武甕槌命
- 秋田市千秋公園1-8
真山神社
- 武甕槌命
- 男鹿市北浦真山水喰沢97
勝軍山神社
- 武甕槌大神
- 大仙市南外深沢26・27
大森神社
- 武甕槌命
- 横手市大森町高口下水戸堤1
勝平神社
- 武甕槌神
- 秋田市保戸野鉄砲町4-28
古四王神社
- 武甕槌命
- 秋田市寺内児桜1-5-55
磯前神社
- 武甕槌神
- 秋田市東通明田2-48
鹿島神社
- 武御雷大神
- 大仙市清水上大蔵120
強首神社
- 鹿嶋大神
- 大仙市強首強首103
浅間神社
- 武甕槌神
- 山本郡藤里町藤琴馬坂3
薬師神社
- 武甕槌神
- にかほ市三森御堂森1
鹿嶋神社
- 武甕槌神
- 秋田市雄和椿川袖の沢73
高梨神社
- 武甕槌神
- 大仙市払田真山35
新城神社
- 武甕槌命
- 秋田市下新城岩城下向172
八幡神社
- 武甕槌命
- 南秋田郡井川町八田大倉八幡1
銀杏山神社
- 武甕槌神
- 能代市二ツ井町仁鮒坊中146
神明社
- 武甕槌命
- 鹿角市十和田大湯大湯189-1
今木神社
- 建御雷神
- 横手市十文字町上鍋倉宝龍堂30
神明社
- 武甕槌神
- 仙北市角館町岩瀬117
春日神社
- 建御賀豆知命
- 由利本荘市田町53
熊野神社
- 武甕槌命
- にかほ市平沢家の後68
菅原神社
- 健御雷神
- 大仙市大神成上村81
菅原神社
- 武甕槌命
- 雄勝郡羽後町大戸水里174
古四王神社
- 武甕槌神
- にかほ市象潟町5丁目塩越14
熊野神社
- 武甕槌命
- 由利本荘市西目町西目根子ノ沢25
川上神社
- 建御雷命
- 鹿角郡小坂町小坂岱15-16
甲神社
- 武甕槌大神
- 仙北市西木町門屋入江89・90・91
鹿嶋神社
- 武甕槌神
- 南秋田郡八郎潟町川崎前川原92
古四王神社
- 武甕槌命
- 大仙市太田町中里新屋敷43
祭り・行事一覧(2023年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
秋田の記事
- - 秋田魁新報秋田市・鱗勝院の火事が鎮火
- - 朝日新聞デジタル「ジョヤサ」と横手で勇壮に梵天奉納祭 3年ぶりにもみあいも
- - 秋田魁新報【動画】なまはげ柴灯まつり開幕 3年ぶり通常開催、「乱入」も復活
- - オマツリジャパン「なまはげ柴灯まつり」を60年間、途切れることなく開催してきた真山地区住民の誇り。
- - 横手経済新聞冬の伝統行事「梵天」 横手市内の町内会や事業所などで制作進む
- - akita-abs.co.jp「文化財防火デー」にあわせて秋田市の寺で防災訓練