秋田 神道 祭神

名称
伊邪那美神
天地開闢における神世七代の最後の神であり、伊邪那岐神とともに生まれる。伊邪那岐神の妻であり、最初の夫婦神でもある。母として多くの子を成した事から万物を生み出す神・創造神・海の神として信仰されている。また黄泉国の主宰神でもあり黄泉津大神とも言われる。
- 主な奉祭先
熊野 系列白山 系列愛宕 系列
三皇熊野神社
本宮 - 伊邪那美大神
- 秋田市牛島西3-10-11
白山神社
- 伊邪那美命
- 湯沢市松岡聖ヶ沢42
羽黒神社
- 伊邪那美命
- 秋田市下新城中野前谷地163
大日靈貴神社
- 伊弉册尊
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
熊野神社
- 伊邪那美命
- 仙北郡美郷町六郷米町27・28・29
金峰神社
- 伊邪那美命
- 仙北市田沢湖梅沢東田235
伊豆山神社
- 伊邪那美命
- 大仙市花館揚ノ森1
高尾神社
- 伊邪那美神
- 秋田市雄和女米木高麓沢74
道川神社
- 伊邪那美命
- 秋田市上新城道川愛染5・6-2
小沼神社
- 伊邪那美命
- 大仙市豊岡小沼山3
月山神社
本宮 - 伊邪那美命
- 鹿角市十和田毛馬内毛馬内沢32
七座神社
- 伊奘冉尊
- 能代市二ツ井町小繋天神道上67
貴船神社
- 伊邪那美命
- 湯沢市深堀宮伝117
磯前神社
- 伊弉册命
- 秋田市東通明田2-48
森吉神社
里宮 - 伊邪那美命
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
日住白山神社
- 伊邪那美神
- 由利本荘市鮎瀬石橋山124
金峰神社
- 伊弉册命
- にかほ市象潟町小滝奈曽沢1-2-9
鶴ケ崎神社
- 伊弉册命
- 秋田市雄和下黒瀬上谷地157
愛宕神社
- 伊邪那美大神
- 能代市二ツ井町飛根富根190
日月神社
- 伊邪那美命
- 仙北市西木町小渕野日月田54
森吉神社
奥宮 - 伊邪那美命
- 北秋田市森吉
強首神社
- 伊邪那美命
- 大仙市強首強首103
愛宕神社
- 伊邪那美神
- 湯沢市上院内町後95
室内神社
- 伊弉册命
- にかほ市平沢宮ノ前46
熊野神社
- 伊邪那美命
- 湯沢市倉内熊野堂1
新城神社
- 伊邪那美命
- 秋田市下新城岩城下向172
綴子神社
- 伊邪那美命
- 北秋田市綴子西館47
神明社
- 伊邪那美命
- 秋田市河辺戸島七曲台1
五里合神社
- 伊佐奈美命
- 男鹿市五里合中石上今沢荒野30-2
稲荷神社
- 伊邪那美命
- 由利本荘市金山金山25
祭り・行事一覧(2023年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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