秋田 神道 祭神

少名毘古那ノ命
御祀りをしている施設一覧※
土館三吉神社
- 祭神:少彦名大神
- 雄勝郡羽後町足田城神巡り63-3
館郷神社
- 祭神:少彦名命
- 大仙市北長野道の下125
薬師神社
- 祭神:少彦名神
- 大仙市協和荒川薬師堂3-4
賀茂神社
- 祭神:少彦名神
- 秋田市河辺北野田高屋雷谷地2
保食神社
- 祭神:少名彦神
- 秋田市雄和平尾鳥善知鳥140
神明社
- 祭神:少彦名神
- 男鹿市船川港船川鳥屋場25
神明社
- 祭神:少彦名神
- 山本郡藤里町粕毛家後14
白山神社
- 祭神:少彦名神
- 雄勝郡羽後町林崎上ノ森1-25
御嶽神社
- 祭神:少彦名神
- 雄勝郡羽後町田代天王山13
薬師神社
- 祭神:少彦名神
- 由利本荘市畑谷元木42
大物忌神社
- 祭神:少彦名命
- 由利本荘市矢島町城内木境4
八坂神社
- 祭神:少那彦那命
- 山本郡藤里町矢坂冷水岱84
神明社
- 祭神:少彦名命
- 北秋田市七日市伊勢堂岱2
神明社
- 祭神:少彦名神
- 南秋田郡井川町浜井川家の東25
三吉神社
- 祭神:少彦名神
- 大仙市大曲花園町2-12
羽宇志別神社
- 祭神:少彦名命
- 由利本荘市東由利法内法内1
朝熊神社
- 祭神:少毘古那神
- 秋田市雄和繋西ノ沢146
岩川神社
- 祭神:少彦名神
- 山本郡三種町上岩川塚ノ岱107-1
御嶽神社
- 祭神:少彦名命
- 雄勝郡羽後町床舞門前222
神明社
- 祭神:少彦名神
- 由利本荘市矢島町城内水上5
薬師神社
- 祭神:少彦名神
- 横手市平鹿町中吉田薬師堂浦19
古四王神社
- 祭神:少名彦名命
- 大仙市太田町中里新屋敷43
八幡神社
- 祭神:少名彦命
- 能代市母体上母体家ノ下14
真山神社
- 祭神:少彦名命
- 湯沢市駒形町東福寺新山森3
神明社
- 祭神:少名彦那神
- 秋田市雄和相川台林8
桂清水神社
- 祭神:少彦名神
- 大館市比内前田前田袋10
北野神社
- 祭神:少彦名命
- 南秋田郡井川町黒坪越雄33-4
久須志神社
- 祭神:少彦名神
- 大仙市神宮寺布晒58
梅内神社
- 祭神:少名彦命
- 能代市二ツ井町梅内筒ヶ沢103
神明社
- 祭神:少彦名大神
- 湯沢市下関榎木152
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。