秋田 神道 祭神

名称
少名毘古那神
『古事記』では、神産巣日神の子とされ、『日本書紀』では、高皇産霊神の子とされる神。大国主神の国造りに協力したとされ、医薬・酒造の神などの神としても有名。
- 主な奉祭先
天神 系列蔵王 系列三吉 系列
月山神社
- 少彦名神
- 潟上市昭和大久保山神37
太平山三吉神社
総本宮 - 少彦名大神
- 秋田市広面赤沼3-2
真山神社
- 少彦名神
- 男鹿市北浦真山水喰沢97
大日靈貴神社
- 少名彦命
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
八坂神社
- 少彦名命
- 大館市片山片山55
筏隊山神社
- 少名毘古那神
- 横手市山内筏伯耆沢73
榮神社
- 少彦名大神
- 横手市大屋新町小松原4
医薬神社
- 少彦名大神
- 由利本荘市薬師堂堂ノ下90
高尾神社
- 少名彦那命
- 秋田市雄和女米木高麓沢74
道川神社
- 少彦名命
- 秋田市上新城道川愛染5・6-2
三吉神社
- 少彦名神
- 秋田市太平八田堂ノ前51-1
磯前神社
- 少彦名神
- 秋田市東通明田2-48
森吉神社
里宮 - 少彦名大神
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
米内沢神社
- 少彦名神
- 北秋田市米内沢寺ノ上1
新波神社
- 少毘古那神
- 秋田市雄和新波樋口16
日吉神社
- 少彦名命
- 秋田市新屋日吉町10-67
少彦名神社
- 少彦名命
- 大仙市南外平形1
愛宕神社
- 少名彦名大神
- 能代市二ツ井町飛根富根190
白藤神社
- 少彦名命
- 横手市平鹿町中吉田上藤根23
高岩神社
- 少彦名神
- 能代市二ツ井町荷上場五輪台23
檜山神社
- 少名彦神
- 能代市檜山越王下21
森吉神社
奥宮 - 少彦名大神
- 北秋田市森吉
薬師神社
- 少彦名神
- にかほ市三森御堂森1
東鳥海神社
- 少彦名神
- 湯沢市相川外の目山3
高梨神社
- 少彦名神
- 大仙市払田真山35
新城神社
- 少比古神
- 秋田市下新城岩城下向172
久斯神社
- 少彦名命
- にかほ市樋目野堂ノ本58
綴子神社
- 少彦名神
- 北秋田市綴子西館47
大高神社
- 少彦名大神
- 大仙市高関上郷大村54
長野神社
- 少彦名命
- 大仙市長野長野山57-2
祭り・行事一覧(2023年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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