秋田 神道 祭神

須佐之男命
伊邪那岐神によって生み出され、天照大御神と月読命の弟神にあたる。荒々しい神話が多く、須佐之男命がヤマタノオロチを退治して得た草薙の剣は、三種の神器の内の一つとしても有名である。
- 主な奉祭先
祇園 系列荒神 系列
三皇熊野神社
本宮 - 須佐之男大神
- 秋田市牛島西3-10-11
八坂神社
- 素盞嗚尊
- 大館市片山片山55
横手
神明社 - 須佐之男神
- 横手市神明町7-2
大日靈貴神社
- 素盞嗚尊
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
八坂神社
- 須佐之男命
- 大仙市清水沖郷天王40
天照皇御祖神社
- 素盞嗚命
- 鹿角市八幡平谷内14
八面神社
- 素戔嗚命
- 湯沢市駒形町八面宮ノ前22
森吉神社
里宮 - 素盞男命
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
米内沢神社
- 素盞嗚尊
- 北秋田市米内沢寺ノ上1
熊野神社
- 素盞嗚尊
- にかほ市象潟町1丁目塩越5
東湖八坂神社
- 素盞嗚尊
- 潟上市天王天王24
森吉神社
奥宮 - 素盞男命
- 北秋田市森吉
沢目神社
- 速素盞雄命
- 山本郡八峰町峰浜水沢寺ノ後54
高梨神社
- 素盞嗚命
- 大仙市払田真山35
八坂神社
- 須佐乃男命
- 秋田市河辺三内祇園台49
御嶽神社
- 須佐之男命
- 雄勝郡羽後町西馬音内宮廻62
久斯神社
- 須佐之男命
- にかほ市樋目野堂ノ本58
森嶽神社
- 建速須佐之男命
- 湯沢市岩崎小森山27
長野神社
- 須佐雄命
- 大仙市長野長野山57-2
綴子神社
- 須佐男命
- 北秋田市綴子西館47
今木神社
- 須佐之男命
- 仙北市田沢湖生保内発鳥山1
白瀑神社
- 建速須佐之男命
- 山本郡八峰町八森館10
愛宕神社
- 素盞嗚尊
- 鹿角市花輪級の木39
稲荷神社
- 須佐男命
- 由利本荘市金山金山25
神明社
- 建速須佐之男命
- 仙北市角館町岩瀬117
七高神社
- 建速須佐男命
- にかほ市院内城前64
岩関神社
- 武速須佐雄乃命
- 能代市二ツ井町切石山根72
熊野神社
- 健速須佐男命
- 由利本荘市岩城赤平梅ヶ沢10
常盤神社
- 建速須佐之男命
- 能代市天内白岩下60
八坂神社
- 建速須佐男命
- 仙北市西木町西明寺堂村162
御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。