秋田 神道 祭神

菅原道真
平安時代に学問をもって朝廷に仕え、官位従二位・右大臣にまでなった偉人。しかし藤原時平(左大臣)に陥され、左遷先の大宰府で没する。死後は天満天神として信仰の対象となり、現在は学問の神として親しまれている。
菅原神社
- 菅原道真公
- 秋田市八橋本町4-4-3
八坂神社
- 菅原大神
- 大館市片山片山55
横手神明社
- 菅原大神
- 横手市神明町7-2
伊豆山神社
- 菅原大神
- 大仙市花館揚ノ森1
八面神社
- 菅原大神
- 湯沢市駒形町八面宮ノ前22
菅原神社
- 菅原道真大神
- 男鹿市脇本脇本兜ケ崎59
月山神社
本宮 - 菅原道真
- 鹿角市十和田毛馬内毛馬内沢32
七座神社
- 菅原道眞尊
- 能代市二ツ井町小繋天神道上67
新波神社
- 菅原道真
- 秋田市雄和新波樋口16
松ケ崎八幡神社
- 菅原道真
- 由利本荘市松ケ崎宮の腰102
檜山神社
- 菅原大神
- 能代市檜山越王下21
鹿渡神社
- 菅原神
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
沢目神社
- 菅原道眞
- 山本郡八峰町峰浜水沢寺ノ後54
浅間神社
- 菅原神
- 山本郡藤里町藤琴馬坂3
天神社
- 菅原道真朝臣命
- 雄勝郡東成瀬村田子内天神林46
菅原神社
- 菅原道眞公
- にかほ市前川下林75-2
新城神社
- 菅原大神
- 秋田市下新城岩城下向172
菅原神社
- 菅原道真公
- 湯沢市松岡切畑106
七倉神社
- 菅原大神
- 北秋田郡上小阿仁村小沢田独活平114
稲荷神社
- 菅原大神
- 能代市向能代上野152
住吉神社
- 菅原道真公
- 潟上市昭和大久保住吉脇26
二井田八幡神社
- 菅原大神
- 大館市二井田贄ノ里4
菅原神社
- 菅原大神
- 南秋田郡五城目町大川大川ウツフケ26
浮嶋神社
- 菅原神
- 大仙市刈和野上ノ台221
北浦神社
- 菅原朝臣道真命
- 男鹿市北浦北浦山王林1
筑紫神社
- 菅原道真公
- にかほ市象潟町5丁目塩越87
菅原神社
- 菅原大神
- 由利本荘市荒町古里111
菅原神社
- 菅原大神
- 仙北市角館町岩瀬100
菅原神社
- 菅原道真公
- 鹿角市八幡平天神館33
菅原神社
- 菅原道真
- 雄勝郡羽後町大戸水里174
御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。