秋田 神道 祭神

大国主神
『古事記』と『日本書紀』の異伝などでは須佐之男命の子孫(あるいは息子)とされている。因幡の白兎を助けた心優しき神様でもあるが、葦原中国の国造りを成したことから国津神の主宰神とされる。また数多くの別名(大穴牟遅神・大己貴命など)を持つと云われる。
- 主な奉祭先
出雲 系列山王 系列秋葉 系列三吉 系列
総社神社
- 大己貴神
- 秋田市川尻総社町14-6
日吉神社
- 大国主大神
- 能代市御指南町3-24
太平山三吉神社
総本宮 - 大己貴大神
- 秋田市広面赤沼3-2
筏隊山神社
- 大穴牟遅神
- 横手市山内筏伯耆沢73
真山神社
- 大名持神
- 男鹿市北浦真山水喰沢97
医薬神社
- 大名持大神
- 由利本荘市薬師堂堂ノ下90
榮神社
- 大己貴命
- 横手市大屋新町小松原4
大日靈貴神社
- 大己貴命
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
高尾神社
- 大名持神
- 秋田市雄和女米木高麓沢74
勝軍山神社
- 八千鉾大神
- 大仙市南外深沢26・27
貴船神社
- 大吊持神
- 湯沢市深堀宮伝117
三吉神社
- 大名持神
- 秋田市太平八田堂ノ前51-1
磯前神社
- 大名持神
- 秋田市東通明田2-48
森吉神社
里宮 - 大己貴大神
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
米内沢神社
- 大己貴神
- 北秋田市米内沢寺ノ上1
新波神社
- 大国主神
- 秋田市雄和新波樋口16
十二所神明社
- 大名持神
- 大館市十二所元館107
白藤神社
- 大国主命
- 横手市平鹿町中吉田上藤根23
檜山神社
- 大名持神
- 能代市檜山越王下21
愛宕神社
- 大名持大神
- 能代市二ツ井町飛根富根190
高岩神社
- 大己貴神
- 能代市二ツ井町荷上場五輪台23
森吉神社
奥宮 - 大己貴大神
- 北秋田市森吉
日吉神社
- 大己貴大神
- 秋田市新屋日吉町10-67
鹿渡神社
- 大名貴神
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
薬師神社
- 大己貴神
- にかほ市三森御堂森1
東鳥海神社
- 大名持神
- 湯沢市相川外の目山3
大国主神社
- 大国主命
- 仙北市西木町西明寺堂村92-1
高梨神社
- 大国主神
- 大仙市払田真山35
八幡神社
- 大名持神
- 北秋田市脇神地切66
新城神社
- 大名持命
- 秋田市下新城岩城下向172
御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。