秋田 神道 祭神

大山咋神
大山に杭を打つ神、すなわち大きな山の所有者の神を意味する山の地主神とされる。
御祀りをしている施設一覧※
日吉神社
- 祭神:大山咋神
- 能代市御指南町3-24
勝平日吉神社
- 祭神:大山咋大神
- 秋田市新屋松美町171-146
日吉八幡神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市八橋本町1-4-1
金砂神社
- 祭神:大山咋大神
- 秋田市保戸野金砂町36
真山神社
- 祭神:大山咋神
- 男鹿市北浦真山水喰沢97
新波神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市雄和新波樋口16
新城神社
- 祭神:大山咋命
- 秋田市下新城岩城下向172
五里合神社
- 祭神:大山咋命
- 男鹿市五里合中石上今沢荒野30-2
日吉神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市新屋日吉町10-67
八幡神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市下浜羽川家ノ腰209
神明社
- 祭神:大山咋主命
- 南秋田郡五城目町神明前115
日枝神社
- 祭神:大山咋之命
- 男鹿市男鹿中滝川三森上台68
日吉神社
- 祭神:大山咋命
- 大館市餌釣山王岱16
日枝神社
- 祭神:大山咋大神
- 由利本荘市前郷前郷95
八幡神社
- 祭神:大山咋命
- 横手市平鹿町醍醐宮西118
北浦神社
- 祭神:大山咋命
- 男鹿市北浦北浦山王林1
日吉神社
- 祭神:大山咋大神
- 大仙市内小友宮北6
八幡神社
- 祭神:大山咋命
- 湯沢市柳田堀廻55
日枝神社
- 祭神:大山咋命
- 由利本荘市深沢神野178
熊野神社
- 祭神:大山咋命
- 山本郡三種町鵜川宮比台26
日吉神社
- 祭神:大山咋神
- 由利本荘市二十六木家口田98
愛宕神社
- 祭神:大山咋大神
- 大仙市内小友井岡90
白山姫神社
- 祭神:大山咋命
- 大仙市清水新田清水24
御嶽神社
- 祭神:大山咋神
- 雄勝郡羽後町田代天王山13
日吉神社
- 祭神:大山咋神
- 湯沢市川連町大館下山王126
土川神社
- 祭神:大山咋神
- 大仙市土川半道寺22
稲荷神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市河辺赤平境田142
山神社
- 祭神:大山咋大神
- 大仙市内小友北太田169
日吉神社
- 祭神:大山咋神
- 秋田市雄和戸賀沢御江田93
日吉神社
- 祭神:大山咋命
- 湯沢市角間馬場192
秋田の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。