秋田 神道 祭神

宇迦之御魂神
『古事記』では、須佐之男命(父)と神大市比売(母)との間の子で、兄神に大歳神がいる。稲・穀物・食物の神、商売繁盛の神として有名である。稲荷神としても広く信仰されている。
- 主な奉祭先
稲荷 系列駒形 系列
八幡秋田神社
- 倉稲魂命
- 秋田市千秋公園1-8
大館
神明社 - 倉稲魂命
- 大館市中神明町1-5
石動神社
- 宇賀魂命
- 秋田市広面谷内佐渡82
星辻神社
- 宇迦之御魂命
- 男鹿市北浦湯本隠台34
飯島神社
- 宇迦之御魂神
- 秋田市飯島松根西町8-9
大森神社
- 宇賀魂神
- 横手市大森町高口下水戸堤1
森吉神社
里宮 - 倉稲魂神
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
月山神社
本宮 - 稲倉魂命
- 鹿角市十和田毛馬内毛馬内沢32
松峯神社
- 倉稲魂神
- 大館市松峰仁王田141-5
高山豊年稲荷神社
- 宇迦之御魂神
- 大館市豊町4-12
月山神社
- 稲倉魂命
- 横手市増田町増田月山1
白藤神社
- 稲倉魂命
- 横手市平鹿町中吉田上藤根23
金峯神社
- 稲倉魂命
- にかほ市象潟町小滝奈曽沢1-2-9
愛宕神社
- 宇賀御魂神
- 湯沢市上院内町後95
勝手神社
- 宇迦之御魂命
- 秋田市太平黒沢祓川23
造立神社
- 稲倉魂命
- 横手市雄物川町造山造山10
森吉神社
奥宮 - 倉稲魂神
- 北秋田市森吉
鹿渡神社
- 宇迦之御魂神
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
沢目神社
- 倉稲魂命
- 山本郡八峰町峰浜水沢寺ノ後54
仁賀保神社
- 倉稲魂神
- にかほ市平沢清水60
薬師神社
- 倉稲魂神
- にかほ市三森御堂森1
稲荷神社
- 稲倉魂大神
- 横手市赤坂赤坂103
八幡神社
- 宇加御霊神
- 北秋田市脇神地切66
天鷺神社
- 宇迦乃御霊神
- 由利本荘市岩城亀田亀田町10
熊野神社
- 倉稲魂命
- 湯沢市倉内熊野堂1
御嶽神社
- 宇賀御魂命
- 雄勝郡羽後町西馬音内宮廻62
八幡神社
- 稲倉魂命
- 横手市雄物川町沼館沼館25
森嶽神社
- 宇迦之御魂命
- 湯沢市岩崎小森山27
大蔵神社
- 宇迦乃御魂命
- 仙北市田沢湖岡崎鳥居野22-1
八幡神社
- 稲蒼魂命
- 鹿角市尾去沢西ノ沢20
御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。