秋田 神道 祭神

天照大御神
伊邪那岐神から月読命、須佐之男命と共に生まれ出た一柱。太陽神としての神格を持ち、姉弟合わせて三柱の貴子とされる。皇室の祖神(皇祖神)の一柱として日本民族の総氏神でもある。
- 主な奉祭先
伊勢 系列駒形 系列
総社神社
- 天照皇大神
- 秋田市川尻総社町14-6
秋田大神宮
- 天照皇大神
- 秋田市千秋城下町5-21
諏訪神社
- 天照皇大神
- 大仙市大曲上大町12-22
大館
神明社 - 天照皇大御神
- 大館市中神明町1-5
三皇熊野神社
本宮 - 天照皇大神
- 秋田市牛島西3-10-11
羽黒神社
- 天照大御神
- 秋田市下新城中野前谷地163
鷹巣神社
- 天照大御神
- 北秋田市宮前町10-35
月山神社
- 天照皇大神
- 潟上市昭和大久保山神37
石動神社
- 天照皇大神
- 秋田市広面谷内佐渡82
八坂神社
- 天照大神
- 大館市片山片山55
白幡神社
- 天照皇大神
- 秋田市外旭川水口字山崎341
十文字神社
- 天照皇大神
- 横手市十文字町大道東82
横手
神明社 - 天照皇大神
- 横手市神明町7-2
星辻神社
- 天照大神
- 男鹿市北浦湯本隠台34
金峰神社
- 天照皇大神
- 仙北市田沢湖梅沢東田235
金砂神社
- 天照皇大神
- 秋田市保戸野金砂町36
真山神社
- 天照大御神
- 男鹿市北浦真山水喰沢97
榮神社
- 天照皇大御神
- 横手市大屋新町小松原4
大日靈貴神社
- 天照皇大神
- 鹿角市八幡平堂ノ上16
天照皇御祖神社
- 大日霊貴神
- 鹿角市八幡平谷内14
伊豆山神社
- 天照皇大神
- 大仙市花館揚ノ森1
高尾神社
- 天照大神
- 秋田市雄和女米木高麓沢74
神明社
- 天照大神
- 秋田市仁井田本町3-242
勝軍山神社
- 天照国照大神
- 大仙市南外深沢26・27
大森神社
- 天照皇大神
- 横手市大森町高口下水戸堤1
八面神社
- 天照大神
- 湯沢市駒形町八面宮ノ前22
道川神社
- 天照大御神
- 秋田市上新城道川愛染5・6-2
貴船神社
- 天照皇大神
- 湯沢市深堀宮伝117
菅原神社
- 天照皇大神
- 男鹿市脇本脇本七洋沢35
三吉神社
- 天照皇大神
- 秋田市太平八田堂ノ前51-1
御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。