秋田 神道 祭神

天照大御神
『伊邪那岐神』によって生み出され、『月読命』の兄神であり『須佐之男命』の兄神にあたる。『天照大御神』は太陽の神とされ、兄弟合わせて『三柱の貴子』とされている。
皇室の祖神(皇祖神)の一柱とも言われ、日本民族の総氏神と言われ、信仰対象・御祭神としては『伊勢神宮』が特に有名である。
御祀りをしている施設一覧※
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市蛭川鳥ノ沢7
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市南外壇ノ平山10
神明社
- 祭神:天照大神
- 大仙市協和峰吉川中ノ沢平七沢2-3
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市協和船岡船沢40・41
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 由利本荘市岩城下黒川中村138
神明社
- 祭神:大日霊命
- にかほ市象潟町西中野沢中野沢43
飯ノ町神明社
- 祭神:天照皇大御神
- 男鹿市脇本脇本飯ノ町33
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市協和稲沢細越1
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市協和小種稲荷谷地124
神明社
- 祭神:天照大神
- 由利本荘市舘神明ノ腰55
八幡神社
- 祭神:天照皇大神
- にかほ市象潟町小砂川中磯47
増沢神明社
- 祭神:天照大御神
- 北秋田市増沢上ノ山189
神明社
- 祭神:天照皇大御神
- 横手市杉沢中嶋212
神明社
- 祭神:天照大御神
- 仙北市田沢湖田沢大山5
神明社
- 祭神:天照大御神
- 由利本荘市小栗山小栗山38
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市南外巣ノ沢99
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 横手市大森町板井田西百目木22
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 秋田市河辺岩見小出沢川南49
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 大仙市協和稲沢上野1
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 仙北市田沢湖神代古館野28
神明社
- 祭神:天照皇大御神
- 湯沢市秋ノ宮妻の沢11
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 横手市十文字町腕越山道端65
八幡神社
- 祭神:天照皇大御神
- 由利本荘市川西宮沢57-1
神明社
- 祭神:天照大神
- 北秋田市根田梨木岱23
神明社
- 祭神:天照皇大御神
- 由利本荘市新田松ノ木台101
八幡神社
- 祭神:天照皇大神
- 秋田市雄和平沢水沢99
神明社
- 祭神:天照皇大御神
- にかほ市小国下腰4
八幡神社
- 祭神:天照皇大神
- にかほ市象潟町洗釜岡崎14
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 雄勝郡羽後町西馬音内堀回関ノ口1
神明社
- 祭神:天照皇大神
- 秋田市外旭川前谷地149
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。