秋田 神道 祭神

名称
八幡神
全国の武家から武運の神として崇敬を集めた。応神天皇と同一とされ、神仏習合の時代には八幡大菩薩とも称された。主に比売神、神功皇后(母)を合わせて八幡三神として祀られている。
- 主な奉祭先
八幡 系列
総社神社
- 八幡大神宮
- 秋田市川尻総社町14-6
三皇熊野神社
本宮 - 八幡大神
- 秋田市牛島西3-10-11
八幡神社
- 八幡大神
- 能代市柳町13-8
本荘神社
- 八幡大神
- 由利本荘市尾崎7
機織神明社
- 八幡大神
- 能代市機織轌ノ目1
諏訪神社
- 八幡大神
- にかほ市象潟町関三平田57
綴子神社
- 八幡山大神
- 北秋田市綴子西館47
金澤
八幡宮 - 八幡三神
- 横手市金沢安本館4
東館神社
- 岩清水八幡大神
- 秋田市楢山南新町下丁40
上檜木内神社
- 八幡大神
- 仙北市西木町上桧木内寺村136
白山八幡神社
- 八幡大神
- 秋田市四ツ小屋小阿地坂ノ下7
白山神社
- 八幡大神
- 雄勝郡羽後町上仙道仙道沢311
八幡神社
- 八幡山大神
- 秋田市雄和田草川本田151-1
和田妹川神明社
- 八幡大神
- 潟上市飯田川和田妹川和田山34
八幡神社
- 八幡大神
- 北秋田郡上小阿仁村福舘館14
愛宕神社
- 八幡神
- 大仙市板見内荒巻105
八幡神社
- 八幡大神
- 仙北郡美郷町南町南高野14
八幡神社
- 八幡大神
- 北秋田郡上小阿仁村杉花杉花32
八幡神社
- 八幡大神
- 北秋田郡上小阿仁村五反沢上ノ山129
神明社
- 八幡大神
- 仙北市田沢湖田沢大山5
神明社
- 八幡大神
- 秋田市下北手黒川黒川86
八幡神社
- 八幡大神
- 北秋田市三木田石渕133
八幡神社
- 八幡大神
- 北秋田市芹沢堤沢口75
三皇熊野神社
里宮 - 八幡大神
- 秋田市牛島東2-2-36
祭り・行事一覧(2023年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。
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