秋田 神道 祭神

火之迦具土神
『伊邪那岐神』、『伊邪那美神』の間に産まれた神。しかし『火の神』であった為に、出産をした『伊邪那美神』が火傷を負い死んでしまう。これに怒った『伊邪那岐神』に殺されてしまうが、『火之迦具土神』の流した血から数々の神が生まれる事になる。
御祀りをしている施設一覧※
竈神社
- 祭神:火結神
- 秋田市土崎港中央7-4-40
鷹巣神社
- 祭神:軻遇突命
- 北秋田市宮前町10-35
月山神社
- 祭神:軻遇突智神
- 潟上市昭和大久保山神37
伊豆山神社
- 祭神:火産霊神
- 大仙市花館揚ノ森1
愛宕神社
- 祭神:軻遇突知神
- 大館市長倉53
勝平神社
- 祭神:火産霊神
- 秋田市保戸野鉄砲町4-28
森吉神社 里宮
- 祭神:火産霊神
- 北秋田市阿仁前田八幡森1
米内沢神社
- 祭神:火産霊神
- 北秋田市米内沢寺ノ上1
唐松神社
- 祭神:軻遇突命
- 大仙市協和境下台94
三又神社
- 祭神:火産霊神
- 湯沢市駒形町三又森244
檜山神社
- 祭神:加遇突智神
- 能代市檜山越王下21
愛宕神社
- 祭神:火産霊大神
- 湯沢市上院内町後95
愛宕神社
- 祭神:火結大神
- 秋田市楢山金照町5-9
七星神社
- 祭神:火産霊大神
- 山本郡三種町志戸橋前田面5
高岩神社
- 祭神:火産霊神
- 能代市二ツ井町荷上場五輪台23
天神社
- 祭神:加具土之命
- 雄勝郡東成瀬村田子内天神林46
鹿渡神社
- 祭神:火産霊命
- 山本郡三種町鹿渡腰巡35-1
浅間神社
- 祭神:加具土神
- 山本郡藤里町藤琴馬坂3
沢目神社
- 祭神:加句知々神
- 山本郡八峰町峰浜水沢寺ノ後54
八幡神社
- 祭神:火結神
- 北秋田市脇神地切66
愛宕神社
- 祭神:加玖土大神
- 能代市二ツ井町飛根富根190
愛宕神社
- 祭神:火産霊神
- 秋田市土崎港南1-14-20
稲荷神社
- 祭神:火産霊大神
- 横手市赤坂赤坂103
本宮神社
- 祭神:火武主比命
- 鹿角市十和田大湯宮ノ平82
新城神社
- 祭神:火産霊命
- 秋田市下新城岩城下向172
火産霊神社
- 祭神:火産霊神
- 秋田市柳田佐渡端165
森吉神社 奥宮
- 祭神:火産霊神
- 北秋田市森吉
綴子神社
- 祭神:火産霊神
- 北秋田市綴子西館47
稲荷神社
- 祭神:迦具土大神
- 能代市向能代上野152
神明社
- 祭神:加具土神
- 仙北市角館町岩瀬117
秋田の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。