秋田

神道の祭神から探す※
愛宕神
- [2件]
阿遅鋤高日子根神
- [1件]
天津彦根火瓊々杵尊
- [14件]
天照大御神
- [476件]
天穂日命
- [1件]
天之御中主神
- [17件]
伊邪那岐神
- [99件]
伊邪那美神
- [118件]
市寸島比売命
- [16件]
稲荷神
- [8件]
宇迦之御魂神
- [190件]
宇迦之売神
- [1件]
保食神
- [122件]
上筒男命
- [9件]
ゑびす
- [6件]
小碓尊(日本武尊)
- [38件]
大国主神
- [62件]
大雀命(仁徳天皇)
- [4件]
大歳神
- [9件]
大宮売神
- [12件]
大物忌神
- [3件]
大物主神
- [33件]
大屋毘古神
- [3件]
大山咋神
- [222件]
大山津見神
- [16件]
奥津日子神
- [1件]
息長帯毘売命(神功皇后)
- [49件]
奥津比売命
- [13件]
淤母陀流神
- [3件]
金山毘古神
- [28件]
久久能智神
- [3件]
菊理姫神
- [42件]
櫛名田比売
- [6件]
櫛御食野命
- [18件]
熊野権現
- [3件]
熊野夫須美大神
- [1件]
事解男命
- [16件]
事代主神
- [21件]
木花之佐久夜毘売
- [30件]
護國の英霊
- [2件]
猿田毘古神
- [43件]
塩椎神
- [3件]
志那都比古神
- [1件]
聖徳太子
- [7件]
菅原道真
- [54件]
少名毘古那ノ命
- [140件]
須佐之男命
- [78件]
須勢理毘売命
- [1件]
住吉三神
- [5件]
瀬織津姫
- [1件]
底筒男命
- [9件]
高龗神
- [10件]
多岐都比売命
- [9件]
多紀理毘売命
- [19件]
武内宿禰
- [2件]
建御雷之男神
- [39件]
建御名方神
- [46件]
玉依毘売命
- [9件]
高皇産霊神
- [6件]
衝立船戸神
- [14件]
月読命
- [23件]
豊宇気毘売神
- [164件]
中筒男命
- [8件]
中津綿津見神
- [1件]
邇藝速日命
- [2件]
八幡神
- [24件]
速玉男命
- [16件]
彦火々出見尊
- [2件]
一言主神
- [4件]
火之迦具土神
- [116件]
広国押建金日命(安閑天皇)
- [11件]
経津主神
- [19件]
品陀和気命(応神天皇)
- [285件]
正勝吾勝勝速日天忍穂耳命
- [7件]
弥都波能売神
- [55件]
綿津見神
- [4件]
仏教の本尊から探す※
秋田の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。