青森

挿絵

青森の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)

青森の新着口伝

  • 投稿者唐牛熊野神社
    投稿日:訪問日:
    評価:4 ⛩熊野宮|南津軽郡大鰐町 “由緒及び由来”

    由緒
    天正年間(1573~1592)に阿闍羅山山頂に蔵館大円寺大日堂、古懸不動堂、久渡寺観音堂の三堂が建立され「阿闍羅千坊」と呼ばれる。内、久渡寺観音堂が、後に唐牛村沼田に奉移し、熊野宮(神仏習合)を名乗る。跡地には記念碑が現存している。寛永10年(1633)現在地にて再建。明治に入り、神仏分離令に基づき、熊野神社へと至る。

    由来
    南北朝期に義良親王を供奉して陸奥に下向した摂津源氏多田貞綱を祖とする初代多田采女が津軽の北条残党を討伐し土着する。室町期に二代多田采女は三戸南部氏の支配下から、大浦為信(後に津軽為信)の津軽統一に与力する。津軽氏の弘前藩の館の一つである唐牛(かろうじ)館は、当地の旧地名である伽藍寺(がらんじ)に由来し、二代多田采女は以降、唐牛多田采女を名乗り、次代以降は唐牛姓と改称する。文禄2年(1593年)弘前藩初代藩主となった津軽為信以降も、唐牛館城主と藩主との密接な関係を構築し、弘前藩三代藩主信義の側室に唐牛甚右衛門娘が輿入れ(後の久祥院・四代藩主信政の母)する。〈津軽一統志による〉
    熊野宮(熊野神社)は唐牛館に鎮座された。現在、唐牛村は大鰐町に吸収合併され、大鰐町唐牛となる。なお、唐牛一族は当地から現在の藤崎町白子に移封され、大鰐町唐牛には唐牛姓は存在しない。

  • 投稿者福眞睦城
    (5件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩大杵根神社|弘前市 “廃社となって存在しません”

    平成年中、廃社となり、すでに社殿はなく、跡地は幼児公園となっています。

  • 投稿者福眞睦城
    (5件)
    投稿日:訪問日:
    卍弘前仏舎利塔|弘前市 “戦没者慰霊の塔”

    弘前市各地から望むことが出来る大きな石・コンクリート製の塔である。大東亜戦争終了前に着工、完成した「忠霊塔」が本来であったが、終戦後に仏舎利が奉安され「仏舎利等」と名を変えている。ただし、今も塔正面には「忠霊塔」と明瞭に記されている。忠霊塔としての規模は相当なもので、著名な宮崎県のものに劣らないだろう。現在は管理者不在にちかい状態で、内部に入ることは出来ない。ごくごくまれに、内部で戦争関連の展示などが行われることがあるが、広く告知されることはない。現在も陸上自衛隊、旧隊員ら有志によって夏に周辺の草刈りが行われ、慰霊の場所としての品位を維持しているが、塔そのものの荒れは目立つ。周辺にはかつての陸軍墓地墓石塔がまとめられているが、供養が現在はされていないだろう。塔内にも戦没者骨壺が、今から40年ほど前にはならんでいたが、10年ぐらい前には相当少ない数が残るだけになっていた。しかし、戦後75年を経て、未だに土に、親族の元に帰れない遺骨がこの中に存在する事実は忘れてはならない。ここは、慰霊の塔である。