神社の参拝作法

神社でのいわゆる「略式参拝」「自由参拝」の作法をご紹介いたします。
手水舎で心身を清める

水盤でよく見る「
また、手と口を洗うのは
左手を清める
柄杓を右手で取り、水を汲みます。その水を左手に注ぎ、洗い清めます。
右手を清める
柄杓を左手に持ち替えます。右手に水を注ぎ、洗い清めます。
口をすすぐ
柄杓を右手に持ち替えます。左の手のひらに一口分の水を受け、口を注ぎます。
もう一度、左手を清める
口をすすぐために使った左手をもう一度、洗い清めます。
柄杓を清める
柄杓を立てて、残った水で柄の部分を洗い清めます。
柄杓を元通りに
最後に柄杓を伏せて、元の位置に戻しましょう。
拝礼で尊敬と感謝を表現

現在、一般的な拝礼作法「
神様への尊敬と感謝の気持ちを心に込めて拝礼しましょう。
※1 | 拝 ••• 頭を深くたれて敬礼すること。 |
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※2 | 昭和二十三年(西暦1948年)に神社本庁が現在の形、「二拝二拍手一拝」を参考例として広めました。 また、宇佐神宮、出雲大社、熊野神社では「二拝四拍手一拝」が拝礼作法とされています。 |
御神前に一礼する
拝殿前に進み出たら、御神前に向かってお辞儀をします。
お賽銭を静かに入れる
感謝の気持ちを表し、お供えをする行為なので、投げ入れずにそっと入れます。
鈴がある場合は鳴らす
鈴の音を鳴らす事で、邪気を祓い清める等の意味があります。
御神前にまっすぐ立つ
姿勢を正し、自然体で立ちます。肘をはらずに、手は両ももに添わせます。
拝を二回する
背筋を伸ばしたまま、九十度に腰を折ったお辞儀を二回します。
手のひらを合わせる
両手を胸の高さまで上げて、手のひらを合わせます。
右手を下にずらし、二拍手
右手を少し下にずらし、そのまま肩幅ぐらいに開いて手を二回打ち合わせます。
手のひらを合わせて祈る
ずらした右手を元に戻し、手を合わせたまま静かに祈ります。
最後に拝を一回する
最後にもう一度、九十度に腰を折ったお辞儀を一回した後、御神前を離れます。

以上が基本的な参拝作法でしたが、各神社・各地方で伝統的な作法は異なる場合があります。
ですが、作法の中にある『神様を尊ぶ心の在り方』が最も大切です。
堅苦しくならず、気軽にお詣りして神様へごあいさつ・普段のお礼・お願い事をしに行きましょう。
最終更新日:2015年08月14日
全国の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
三島神社|静岡県 “三島神社”
★三島大神が降臨した場所とされる神社★
創建の詳細こそ不明ですが数々の伝記にこの神社が記されているようです
・平安中期に書かれた伊豆における神社の記録簿『伊豆国神階帳』
「従四位上 をゝつゆき姫の明神」と記されている
・平安時代の神社リスト、延喜式神名帳に記載されている神社(式内社)である大津往命神社/オオツノユキノミコト
この神社と同一であると推測もされています
・『伊豆国式社考略』伊豆の延喜式神名帳に記載された神社を考察した文献
妻良村三島神社の二座のうちの一座を大津往命神社として紹介
・正中2年(1325)社記
「神代の昔 三島大神と溝樴姫と御船にて渡来たまい 当浦より上がりたまうとみえ 一座は姫神なるも所由あり 村名の妻浦も姫神鎮座の地なるより 比賣浦の略と聞こゆ」と記載
なんのこっちゃ分かんないので日本語訳 (;^_^A
「神代の昔、三島大神と溝樴姫が御船に乗って渡ってこられ、当浦(現在の場所)から上がってきたようです。三島大神一座は姫神であり、その由来には理由があります。村名の妻浦(現在の地名)は姫神が鎮座している場所であることから、比賣浦(姫神に関連する場所)という名が由来していると伝えられています。」
どうやら平安時代から続くめちゃくちゃ古い神社のようですね
【北条水軍妻良衆の力石】
境内には重量280kgある力石と呼ばれる大石があります
戦国時代、伊豆を平定した北条早雲に仕えていた妻良衆は、村田一之助を頭領とする強い水軍でした
その勇猛さで「伊豆衆」として名を馳せ、日頃の訓練にはこの力石を持ち上げていたとの事
特に北条氏と豊臣氏の戦いの前、妻良沖で敵の斥候を捕らえた武士が功績を称えられた際、軽々とこの石を持ち上げたと言われています
まるで、筋肉自慢の武士たちが「これが私の力だ!」と石でアピールしていたかのようですね
【御祭神】
大津往命 オオツノユキノミコト
ここオリジナルの神様のようで元は大津(大きな港)を守護する姫神と考えられていました
上記の『伊豆国神階帳』では をゝつゆき姫の明神 として登場
社記での溝樴姫がそれにあたるとされています
大国主命(三島大社の御祭神)の后であり子に事代主命(恵比寿さん)を持ちます
本殿前に賽銭箱がふたつありました
神様毎に違うのかしら? - 投稿日:訪問日:
大井神社|静岡県 “大井神社”
★古き日よ 大洪水を 超えて今★
むかし、その昔大沢地区の「古森」という里に大井神社が建っていたのですがある日の大洪水で神社は濁流に飲み込まれて流されてしまいました
その後の話では
ご神体は島田宿に住む薬屋のおばあさんの家の前に流され、村の代表者たちが島田に向かいご神体を受け取り、元の場所に戻すこととしたのですが神様の意向で分神だけを持ち帰った
というのが島田に伝わる一般的なお話
島田市御仮屋にある「大井神社 御旅所」の石碑が建てられている個所が薬屋の場所とされているといいます
ですが昔話には別説がつきもの
大沢より流されたご神体はここ田代にたどり着き、この神社が建てられたというもの
他にも神座の大井さんも流されてきた説に名乗りを上げており、片目の竜となって辿り着いたという一歩上を行く主張をされているようです
神社同士での大井さんの取り合い
なかなか興味深いですね
( ̄ー ̄)ニヤリ - 投稿日:訪問日:
愛宕神社|静岡県 “愛宕神社”
閑静な住宅街の入り口にひっそりと鎮座する愛宕神社
あたご と読むようです
京都の愛宕神社からの勧請と想定できますね
駐車場:ありません
御朱印:見当たりませんでした