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福岡の新着口伝

  • 投稿者mohayatada
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    ⛩八幡古表神社|築上郡吉富町 “八幡古表神社の御由緒”

    中津川(山国川)の辺に玉手翁(たまてのおきな)という者が住んでいた。神にも等しい美しい心を持った人格者であったが、欽明天皇六年九月二十一日吹出の高浜を散歩していたところ、美しい白雲が西の方より飛来し明月の如く光り輝く女神が乗っておられた。翁はすぐに神である事を察し畏れ拝んだ。すると次のような神託があった。「吾は息長帯姫なり。昔、三韓征伐」のおり軍卒集まり難しにより諸国を歴視し此の所に来りて海辺の石(後、皇后石と呼ぶようになった)の上にて諸国の神々を祭る。よりて軍卒多く集まり船をも調達、険浪を渡り三韓を伐つ。しかるに後世これを知る者なし。今よりこの良き地に住みて永遠に国家国民を守護せんとす。汝此の所に社を建て吾を祭れ」翁は平伏して再拝、早速社殿を造営すべき土地をさがしたが、自分の支配するこの土地が神様の選ばれた所だけあって、人々も心豊かで海陸の幸にも富んでいる事に大そう喜んで、吹出の高浜の島の最も荘厳な所を選び、社殿を建て、息長大神宮と称してお祭りした。

  • 投稿者mohayatada
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    ⛩枝光八幡宮|北九州市八幡東区 “境内にある「中臣神社」の由來”

    枝光の西北約900メートルの付近は、もとは入海で、そこに中富島という小島がありました。むかし神功皇后がこの地を通過するとき海路の安全を祈願するため重臣「中臣烏賊津連」(なかとみのいかつのむらじ)に命じて道祖神を祀らせたことから、中臣島と呼ぶようになり、のち中富島と書くようになったそうです。そこには中臣神社がありましたが、その地が八幡製鐵所に買収されたため、明治39年に枝光八幡宮境内に移設されました。ちなみに「中臣烏賊津連」は「大化の改新」で有名な「藤原(中臣)鎌足」の先祖と云われています。

  • 投稿者mohayatada
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    ⛩日吉神社|北九州市若松区 “日吉神社御由緒”

    日吉神社がこの二島の地に鎮座されたのは、今より(平成元年)遡ること1180余年の前の時代、即ち人皇第五十二代嵯峨天皇の御代に近江国(滋賀県)の日吉神社の御分霊を遷座されたと伝えられる。かように歴史の古いことは、この若松、島郷一円の総社を仰がれていた社であったことの証左であります。後世には、花房城主麻生遠江守の尊崇が特に篤く、正月田、三月田、五月田と奉賛の誠を捧げた寄進田の地名が残っています。今の二島(東二島、二島町)は商工業の発展が著しく、今後の進展は期して俟つものがある町であります。