群馬 神道 祭神

伊邪那美神
天地開闢における神世七代の最後の神であり、伊邪那岐神とともに生まれる。伊邪那岐神の妻であり、最初の夫婦神でもある。母として多くの子を成した事から万物を生み出す神・創造神・海の神として信仰されている。また黄泉国の主宰神でもあり黄泉津大神とも言われる。
- 主な奉祭先
熊野 系列白山 系列愛宕 系列三峯 系列
御嶽山白龍神社
- 伊弉冉尊
- 伊勢崎市東小保方町2944
進雄神社
- 伊邪那美命
- 高崎市柴崎町801
白髭神社
- 伊弉冉命
- 桐生市堤町2-2-41
妙義神社
- 伊邪那美命
- 富岡市妙義町妙義6
- ★観光名所
駒形神社
- 伊弉那美命
- 前橋市駒形町710
伊佐須美神社
- 伊邪那美命
- 太田市浜町8-21
髙﨑神社
- 伊邪那美命
- 高崎市赤坂町93
小祝神社
- 伊弉册命
- 高崎市石原町1247
玉村
八幡宮 - 伊弉册命
- 佐波郡玉村町下新田1
諏訪神社
- 伊邪那美命
- 吾妻郡東吾妻町大柏木殿原2226
小石神社
- 伊邪那美命
- 前橋市敷島町255-1
吉岡神社
- 伊邪那美命
- 吾妻郡東吾妻町本宿656
苗島神社
- 伊弉冊命
- 前橋市苗ケ島町1088
辛科神社
- 伊邪那美命
- 高崎市吉井町神保435
羽根尾神社
- 伊邪那美命
- 吾妻郡長野原町羽根尾宮原100
小坂子
八幡神社 - 伊弉冊命
- 前橋市小坂子町598-1
祭り・行事一覧(2023年度)※
群馬の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
白瀧神社|桐生市 “白瀧神社の由来‐ホームページより‐”
桐生市川内町五丁目(旧仁田山)に鎮座する白瀧神社の御祭神は天八天千々姫命(アメノヤチチヒメノミコト)(織物・紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。
白瀧姫は、横萩右大臣豊成公の二女として天平宝字年間(757~764)に京都においてお生まれになり長じて御所に白瀧の前(キサキ)と称し官女として奉仕したる折に仁田山の住人‐山田舎人(とねり)が郡役として御所に奉仕する。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に相互の思慕の念顕れ、この由叡聞に達し御感のあまり白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山に帰り来しと云う。
白瀧姫は養蚕・製糸・機織りの業をよく修めこれらを里人に教え、土地の産業として広く及ぼし依って織物発祥の祖、機神天神として祀り祭事を執り行う。明治初年『白瀧神社』と改称し現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い崇敬者の寄進により神楽殿、手水舎、社務所、参集殿を築造し社頭整備等で尊厳維持をはかり、桐生市の名勝の一つにかぞえられている。
境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔耳をあてると機音が聞こえてきたが不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。 - 投稿日:訪問日:
飯玉神社|伊勢崎市 “神饌物にオリジナリティ”
御土御門天皇の御代、応仁年間(1467~69)、此の地の領主那波氏が、現在の伊勢崎市堀口町に鎮座する飯玉神社の御分霊を迎えて、この地に奉祀したのが始まりである。その後、世々の領主の崇敬する処となる。那波氏が滅びて以後は、氏子の崇敬により祭事は引き継がれた。明治40年9月4日、字新田に祀られていた無格社諏訪神社を合祀して現在に至る。『神餞物について』春季・秋季例祭の神饌であるお供餅は、普通二個(大・小)重ねてお供えするが、当神社に於いては、堀口町の飯玉神社より御分霊を迎えて以来、一個のお供え餅を作りお供えしている。このようなやり方はここ近辺の神社には例がなく、貴重な事である。
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