群馬 神道 祭神

市寸島比売命
『古事記』と『日本書紀』において、須佐之男命が天照大御神の持ち物である八尺勾璁を譲り受けて化生させた三女(多紀理毘売命、市寸島比売命、多岐都比売命)の一柱。本地垂迹では弁才天とされている。
- 主な奉祭先
嚴島 系列宗像 系列
進雄神社
- 市杵嶋姫命
- 高崎市柴崎町801
胸形神社
- 市寸島比売命
- 高崎市棟高町1
伊勢崎神社
- 市杵島姫命
- 伊勢崎市本町21-1
小祝神社
- 市杵嶋姫命
- 高崎市石原町1247
横壁
諏訪神社 - 市寸島比売命
- 吾妻郡長野原町横壁383
市杵島神社
- 市杵嶋姫命
- 前橋市川原町1-406
王城山神社
- 市寸嶋比賣命
- 吾妻郡長野原町林宮原502
辛科神社
- 市寸嶋比賣命
- 高崎市吉井町神保435
宗像神社
- 市寸島比売命
- 藤岡市下日野1471
羽根尾神社
- 市杵島姫命
- 吾妻郡長野原町羽根尾宮原100
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 前橋市紅雲町2-16-11
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 邑楽郡邑楽町石打218
巌島神社
- 市杵島姫命
- 邑楽郡明和町南大島322-1
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 甘楽郡甘楽町轟210
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 高崎市箕郷町生原1728-1
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 邑楽郡板倉町内蔵新田319
嚴島神社
- 市寸島比売命
- 藤岡市上日野2110-2
祭り・行事一覧(2023年度)※
群馬の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
白瀧神社|桐生市 “白瀧神社の由来‐ホームページより‐”
桐生市川内町五丁目(旧仁田山)に鎮座する白瀧神社の御祭神は天八天千々姫命(アメノヤチチヒメノミコト)(織物・紡績の神)に白瀧姫の御霊を合祀したものである。
白瀧姫は、横萩右大臣豊成公の二女として天平宝字年間(757~764)に京都においてお生まれになり長じて御所に白瀧の前(キサキ)と称し官女として奉仕したる折に仁田山の住人‐山田舎人(とねり)が郡役として御所に奉仕する。当時文学盛んにしてしばしば御歌の会が催され数々の詠進の中に白瀧の前と山田の詠進に相互の思慕の念顕れ、この由叡聞に達し御感のあまり白瀧姫を山田の舎人に下され相伴い仁田山に帰り来しと云う。
白瀧姫は養蚕・製糸・機織りの業をよく修めこれらを里人に教え、土地の産業として広く及ぼし依って織物発祥の祖、機神天神として祀り祭事を執り行う。明治初年『白瀧神社』と改称し現在の社殿を修造する。その後、織物の隆盛に伴い崇敬者の寄進により神楽殿、手水舎、社務所、参集殿を築造し社頭整備等で尊厳維持をはかり、桐生市の名勝の一つにかぞえられている。
境内の『降臨石』と称する大岩は、その昔耳をあてると機音が聞こえてきたが不心得者が雪駄を履いて岩に上がってから機音が止まってしまったとの言い伝えがある。 - 投稿日:訪問日:
飯玉神社|伊勢崎市 “神饌物にオリジナリティ”
御土御門天皇の御代、応仁年間(1467~69)、此の地の領主那波氏が、現在の伊勢崎市堀口町に鎮座する飯玉神社の御分霊を迎えて、この地に奉祀したのが始まりである。その後、世々の領主の崇敬する処となる。那波氏が滅びて以後は、氏子の崇敬により祭事は引き継がれた。明治40年9月4日、字新田に祀られていた無格社諏訪神社を合祀して現在に至る。『神餞物について』春季・秋季例祭の神饌であるお供餅は、普通二個(大・小)重ねてお供えするが、当神社に於いては、堀口町の飯玉神社より御分霊を迎えて以来、一個のお供え餅を作りお供えしている。このようなやり方はここ近辺の神社には例がなく、貴重な事である。
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