全国 名所・観光地

伊勢神宮
正式名称「神宮」。内宮・外宮を含め百二十五の宮社を総称して神宮と云う。
名所・観光地一覧
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朝熊神社
- 皇大神宮 摂社 第一位
- 三重県伊勢市朝熊町2566-1
朝熊御前神社
- 皇大神宮 摂社 第二位
- 三重県伊勢市朝熊町2566-1
園相神社
- 皇大神宮 摂社 第三位
- 三重県伊勢市津村町723
鴨神社
- 皇大神宮 摂社 第四位
- 三重県度会郡玉城町山神1398
田乃家神社
- 皇大神宮 摂社 第五位
- 三重県度会郡玉城町矢野387
田乃家御前神社
- 皇大神宮 摂社 第六位
- 三重県度会郡玉城町矢野387
蚊野神社
- 皇大神宮 摂社 第七位
- 三重県度会郡玉城町蚊野1807
蚊野御前神社
- 皇大神宮 摂社 第八位
- 三重県度会郡玉城町蚊野1807
湯田神社
- 皇大神宮 摂社 第九位
- 三重県伊勢市小俣町湯田983
大土御祖神社
- 皇大神宮 摂社 第十位
- 三重県伊勢市楠部町2132
国津御祖神社
- 皇大神宮 摂社 第十一位
- 三重県伊勢市楠部町2132
朽羅神社
- 皇大神宮 摂社 第十二位
- 三重県度会郡玉城町原272
宇治山田神社
- 皇大神宮 摂社 第十三位
- 三重県伊勢市中村町918
津長神社
- 皇大神宮 摂社 第十四位
- 三重県伊勢市宇治今在家町153-1
堅田神社
- 皇大神宮 摂社 第十五位
- 三重県伊勢市二見町茶屋442-2
大水神社
- 皇大神宮 摂社 第十六位
- 三重県伊勢市宇治今在家町163-1
江神社
- 皇大神宮 摂社 第十七位
- 三重県伊勢市二見町江992
神前神社
- 皇大神宮 摂社 第十八位
- 三重県伊勢市二見町松下1407-5
粟皇子神社
- 皇大神宮 摂社 第十九位
- 三重県伊勢市二見町松下1687-2
川原神社
- 皇大神宮 摂社 第二十位
- 三重県伊勢市佐八町1559
久具都比賣神社
- 皇大神宮 摂社 第二十一位
- 三重県度会郡度会町上久具211
奈良波良神社
- 皇大神宮 摂社 第二十二位
- 三重県度会郡玉城町宮古833
棒原神社
- 皇大神宮 摂社 第二十三位
- 三重県度会郡玉城町上田辺2466
御船神社
- 皇大神宮 摂社 第二十四位
- 三重県多気郡多気町土羽505
坂手国生神社
- 皇大神宮 摂社 第二十五位
- 三重県度会郡玉城町上田辺144-1
狹田國生神社
- 皇大神宮 摂社 第二十六位
- 三重県度会郡玉城町田丸322
多岐原神社
- 皇大神宮 摂社 第二十七位
- 三重県度会郡大紀町三瀬川94
全国の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
教順寺|広島県 “教順寺”
東広島市八本松原にある浄土真宗のお寺です。綺麗な境内に親鸞聖人の大きな像があります。
敷地内に将棋サロン等も催しされ、地元の方がよく利用されているようです。
隣に市立保育所、前に内科、周辺に農協や郵便局あり、地元の方には身近なお寺なのではないかと思います。 - 投稿日:訪問日:
石上神宮|奈良県 “布瑠部の御鈴守 (ふるべのおすずまもり)”
ひふみよ・・・の祝詞に関係する魂振りの御鈴です。
中々参拝に伺えないので^^;ご連絡をさせて頂き、送って頂きました。
綺麗な桐箱に入っており、とても上品で可愛らしい御鈴です。
我が家の太刀守りにさせて頂きます。
感謝☆ - 投稿日:訪問日:
狭山八幡神社|埼玉県 “狭山八幡神社”
御祭神 菅原道真公
境内社 八雲社、琴平社、大鷲神社、入間川神社
正慶二年西暦1333年に新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた時、義貞の守護神八幡大菩薩の像を成円寺に奉納して戦勝を祈願し、大勝を得たので、八幡大菩薩の像を神体として、社を造営した。
後に、清水八幡と並んで新田八幡と呼ばれた。
慶安二年に両八幡宮領五石一斗余、牛頭天王領三石七斗余、別当成円寺領一石余合わせて十石の朱印を受けた。
その後入間川村に疫病が流行し、村人が多く亡くなったので、成円寺住職某は寺鎮守牛頭天王に祈り”五香湯”の薬方を得て、これを施し、患者を救う。
この薬は近隣に聞こえ人々は争ってこれを求めた。
この『縁起』に「新田八幡」と見えるのが当社である。
本殿は享和二年の再建であり、周囲の壁面を中心に見事な彫刻に飾られている。
正面扉脇彫刻裏に「上州勢多郡上田澤湧丸、並木源二襍訓作、享和壬戌夏六月彫之。
上野國勢多郡深澤郷上神梅村、鏑木半二郎邦高彫之、享和二戌年六月ヨリ七月七日迄」の墨書がある。
『明細帳』に「元来八幡八雲両社ハ真言宗成円寺ニテ進退シ来リシモノ明治二年住職錟光寺ヲ廃シ神主トナリ青田義寛ト称シ、同七年村社八幡神社ノ社掌トナレリ」とあり、明治期の事情がうかがえる。
現在境内社となっている八雲神社は『縁起』の寺鎮守牛頭天王で、『風土記稿』に「牛頭天王社 社領三石七斗余、慶安二年御朱印、神体木像、村の鎮守」とあり、明治初めに社名を変更したものである。
(「埼玉の神社」より)