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東国三社トウゴク サンシャ

関東地方東部の利根川下流域に鎮座する神社三社の一覧。

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  • 投稿者ぐっさん
    (11件)
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    評価:2 ⛩根上神社|千葉県 “根上神社由来”

    根上神社古墳(ねのかみじんじゃこふん)。
    場所:千葉県八千代市村上南1-15-1(「根上神社」の住所)。東葉高速鉄道東葉高速線「村上」駅の北、約170m。国道16号線沿いにあるホームセンター「ジョイフル本田 八千代店」の南東側。駐車場有り。
    「根上神社古墳」は、八千代市では最大の前方後円墳で、全長約50m、前方部幅約32m、後円部径約35mの大きさ。発掘調査は行われていないが、6世紀頃のものと推定されている。南東向きの古墳で、北西側の括れ部分に「根上神社」が鎮座しているため、その名がある。「根上神社」の由緒は不明であるが、祭神は大己貴命で、国土開発の神である。あるいは、「子の神(ねのかみ)」から鼠~大黒天(大黒様)~大国主神と連想して、祭神を定めたのかもしれない。

  • 投稿者ぐっさん
    (11件)
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    評価:2 ⛩時平神社|千葉県 “時平神社由来”

    時平神社四社(ときひらじんじゃよんしゃ)は、千葉県八千代市にある四つの時平神社の総称である。下総三山の七年祭りにもかかわりが深い。御祭神はいずれも左大臣藤原時平。
    平安時代初期、時平は若くして左大臣まで登り栄達するが、菅原道真を太宰府に左遷させた張本人とされる。道真が左遷先で亡くなる、ほとんど直後というタイミングで、自身も39歳の若さで死去。
    その死は当然のことながら道真の祟りと囁かれた。ある意味では、日本における天神信仰の確立を担ったことになる。
    四社ともいずれも由緒や情報に乏しく、なぜこの地域に四社もの時平神社が集中しているのか不明。特に、大和田は慶長15年(1610年)に、萱田町は元和元年(1615年)に、それぞれ江戸初期に相次いで創建している。
    当地域には、時平はじめ親族が次々と亡くなってしまう状況に対して悲観した、時平の妻子や一族が当地に移り住み、特に時平の娘である高津姫の伝承が残されている。それが同市内に鎮座する高津比咩神社につながる。
    当地域はまた、菊田神社に代表されるように、平安時代末期に流罪となった藤原師経・藤原師長の上陸地にも近く、当地で祖先の時平を奉斎したとも伝わり、時平に対する信仰はもともと厚い地域柄ではある。下総三山の七年祭り(千葉県指定文化財)
    数えの七年目ごとの丑年と未年に行われる船橋市、八千代市、千葉市、習志野市の4市・9社にまたがる壮大な祭りです。
    その年の9月13日に小祭が営まれ、続いて11月の上旬に船橋市三山の神揃場(かみそろいば)から二宮神社にいたる神輿の昇殿参拝と千葉市幕張の磯出式を中心とした二日間にわたる大祭が営まれます。

    この祭りの伝説は、藤原時平の子孫が久々田(習志野市津田沼)に流れ着き、深山(三山)に住み着いた後二宮神社の神主になり、また、高津には時平の娘が住み着いたというものです。祭りに参加する9社には役割があり二宮神社(船橋市三山)は夫・父、子安神社(千葉市畑)は妻・母、時平神社(八千代市大和田・萓田町)は息子・長男、八王子神社(船橋市古和釜)は末息子、高津比咩神社(八千代市高津)は娘、菊田神社(習志野市津田沼)は伯父、大原大宮神社(習志野市実籾)は伯母、子守神社(千葉市幕張)は子守、三代王神社(千葉市武石)は産婆に当たると考えられてきました。

  • 投稿者ぐっさん
    (11件)
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    評価:5 ⛩千葉縣護國神社|千葉県 “千葉縣護國神社由来”

    明治天皇の思召により、明治十一年一月二十七日、初代県令柴原和が発起となり一身を捧げて国難に殉ぜられた人々の勲を永く顕彰し、そのみたまをお慰め申し上げるために千葉県庁公園内に千葉縣招魂社として創建せられたのにはじまり、爾来社地変更・御社号改称等の変遷を経て、昭和四十二年九月三十日亥鼻山から御遷座申し上げ、更に平成七年六月には御創立壹百拾五年を記念し御社殿の大修復工事の大事業を完遂しました。
    昭和四十八年十月天皇皇后両陛下には、国民体育大会開会式御臨場を機に御親拝遊ばされ、同月全国身体障碍者スポーツ大会に御臨場を機に皇太子(今上天皇)同妃両殿下が御参拝遊ばされるなど創建以来皇室の御崇敬はもとより、県民遺族の変わらぬ崇敬のもとに御神徳は愈々輝き、御社頭は日毎に隆昌に赴いて居ります。千葉縣護国神社HPより