全国 名所・観光地

延喜式神名帳 式内社
延喜五年(西暦905年)より編纂の『延喜式』に記載された、古代律令制における官社指定の神社一覧。
名所・観光地一覧
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健田
須賀神社 - 東山道 下總國結城郡 健田神社
- 茨城県結城市結城195
桑原神社
- 東山道 下總國岡田郡 桑原神社
- 茨城県常総市国生1186
茂侶神社
- 東山道 [論社] 下總國葛餝郡 茂侶神社
- 千葉県松戸市小金原5-28-13
茂侶神社
- 東山道 [論社] 下總國葛餝郡 茂侶神社
- 千葉県船橋市東船橋7-20-1
船橋
大神宮 - 東山道 下總國葛餝郡 意富比神社
- 千葉県船橋市宮本5-2-1
蛟蝄神社
- 東山道 下總國相馬郡 蛟蛔神社
- 茨城県北相馬郡利根町立木882
鹿島神宮
- 東山道 常陸國鹿嶋郡 鹿嶋神宮 名神大 月次新嘗
- 茨城県鹿嶋市宮中2306-1
大洗磯前神社
- 東山道 常陸國鹿嶋郡 大洗礒前藥師菩薩明神社 名神大
- 茨城県東茨城郡大洗町磯浜町6890
大國玉神社
- 東山道 常陸國真壁郡 大國玉神社
- 茨城県桜川市大国玉1
楯縫神社
- 東山道 [論社] 常陸國信太郡 楯縫神社
- 茨城県稲敷郡美浦村郷中2988
楯縫神社
- 東山道 [論社] 常陸國信太郡 楯縫神社
- 茨城県稲敷郡美浦村信太1830
阿彌神社
- 東山道 [論社] 常陸國信太郡 阿弥神社
- 茨城県稲敷郡阿見町竹来1366
阿彌神社
- 東山道 [論社] 常陸國信太郡 阿弥神社
- 茨城県稲敷郡阿見町中郷2-25
長幡部神社
- 東山道 常陸國久慈郡 長幡部神社
- 茨城県常陸太田市幡町539
薩都神社
- 東山道 常陸國久慈郡 薩都神社
- 茨城県常陸太田市里野宮町1052
天志良波神社
- 東山道 常陸國久慈郡 天之志良波神社
- 茨城県常陸太田市白羽町1670
泉神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 天速玉姫命神社
- 茨城県日立市水木町2-22-1
鹿島神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 天速玉姫命神社
- 茨城県常陸太田市春友町406
静神社
- 東山道 常陸國久慈郡 靜神社 名神大
- 茨城県那珂市静2
稲村神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 稻村神社
- 茨城県常陸太田市天神林町3228
近津神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 稻村神社
- 茨城県久慈郡大子町下野宮1626
櫻川
磯部 稲村神社 - 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 稻村神社
- 茨城県桜川市磯部779
立野神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 立野神社
- 茨城県水戸市谷津町899
立野神社
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 立野神社
- 茨城県常陸大宮市上小瀬351
天満宮
- 東山道 [論社] 常陸國久慈郡 立野神社
- 茨城県常陸太田市赤土町2206
筑波山神社
- 東山道 常陸國筑波郡 筑波山神社 二座 一座名神大 一座小
- 茨城県つくば市筑波1-1
大井神社
- 東山道 [論社] 常陸國那賀郡 大井神社
- 茨城県水戸市飯富町3475
大井神社
- 東山道 [論社] 常陸國那賀郡 大井神社
- 茨城県笠間市大渕1652
青山神社
- 東山道 常陸國那賀郡 靑山神社
- 茨城県東茨城郡城里町上青山229
吉田神社
- 東山道 常陸國那賀郡 吉田神社 名神大
- 茨城県水戸市宮内町3193-2
祭り・行事一覧(2023年度)※
全国の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
宗光山 教順寺|広島県 “教順寺”
東広島市八本松原にある浄土真宗のお寺です。綺麗な境内に親鸞聖人の大きな像があります。
敷地内に将棋サロン等も催しされ、地元の方がよく利用されているようです。
隣に市立保育所、前に内科、周辺に農協や郵便局あり、地元の方には身近なお寺なのではないかと思います。 - 投稿日:訪問日:
石上神宮|奈良県 “布瑠部の御鈴守 (ふるべのおすずまもり)”
ひふみよ・・・の祝詞に関係する魂振りの御鈴です。
中々参拝に伺えないので^^;ご連絡をさせて頂き、送って頂きました。
綺麗な桐箱に入っており、とても上品で可愛らしい御鈴です。
我が家の太刀守りにさせて頂きます。
感謝☆ - 投稿日:訪問日:
狭山八幡神社|埼玉県 “狭山八幡神社”
御祭神 菅原道真公
境内社 八雲社、琴平社、大鷲神社、入間川神社
正慶二年西暦1333年に新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた時、義貞の守護神八幡大菩薩の像を成円寺に奉納して戦勝を祈願し、大勝を得たので、八幡大菩薩の像を神体として、社を造営した。
後に、清水八幡と並んで新田八幡と呼ばれた。
慶安二年に両八幡宮領五石一斗余、牛頭天王領三石七斗余、別当成円寺領一石余合わせて十石の朱印を受けた。
その後入間川村に疫病が流行し、村人が多く亡くなったので、成円寺住職某は寺鎮守牛頭天王に祈り”五香湯”の薬方を得て、これを施し、患者を救う。
この薬は近隣に聞こえ人々は争ってこれを求めた。
この『縁起』に「新田八幡」と見えるのが当社である。
本殿は享和二年の再建であり、周囲の壁面を中心に見事な彫刻に飾られている。
正面扉脇彫刻裏に「上州勢多郡上田澤湧丸、並木源二襍訓作、享和壬戌夏六月彫之。
上野國勢多郡深澤郷上神梅村、鏑木半二郎邦高彫之、享和二戌年六月ヨリ七月七日迄」の墨書がある。
『明細帳』に「元来八幡八雲両社ハ真言宗成円寺ニテ進退シ来リシモノ明治二年住職錟光寺ヲ廃シ神主トナリ青田義寛ト称シ、同七年村社八幡神社ノ社掌トナレリ」とあり、明治期の事情がうかがえる。
現在境内社となっている八雲神社は『縁起』の寺鎮守牛頭天王で、『風土記稿』に「牛頭天王社 社領三石七斗余、慶安二年御朱印、神体木像、村の鎮守」とあり、明治初めに社名を変更したものである。
(「埼玉の神社」より)