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mohayatada

北九州の神功皇后ゆかりの神社、伝承の地を巡っています。

会員見聞録

口伝の数/写真の数/御朱印取得数

  • 301件~
  • 101~300件
  • 51~100件
  • 11~50件
  • 1~10件
福岡県
45件

投稿した口伝

  • 投稿者mohayatada
    投稿日:訪問日:
    ⛩日吉神社|福岡県 “「紅影の池」の由縁”

    仲哀天皇の皇后であられた神功皇后が、三韓出兵に赴かれたとき、神功皇后は洞の海(洞海湾)を通られて崗の水門(今の芦屋)の方へ赴かれる途中、長い旅の疲れで休まれた場所が、これなる二島の地先の双児嶋でありました。(現在、島はありません)その時、村人がゆっくり休まれるようにと、人家のある東二島の集落へお供をしてこられたといわれている。そこで皇后様を澄みきった綺麗な池(泉)に案内されたところが、その池(泉)が鏡のように顔を写せる水面であり、皇后様は頬の紅をはっきりと鮮やかに写されながら、御髪を梳かれたという池(泉)であります。(頬の紅が水面に写ったので紅影の池と呼んだ)池は日吉神社裏手の直ぐ近くにあり、御影石で囲った井戸のように見えます。昔は、枯れることが無いと云われていましたが、今は水がとても少なくなってしまいました。また昔は、この池の水で米を炊き日吉神社にお供えをしたと記録にあります。水質が大変良かったので、昔はこの近くで造り酒屋(現大庭塾)があって、この池の水でお酒を造っていました。

  • 投稿者mohayatada
    投稿日:訪問日:
    ⛩天疫神社|福岡県 “天疫神社の御由緒”

    醍醐天皇の御代(西暦九〇〇年頃)疫病がこの里を襲った。里人たちがこの高杯山頂で疫病がおさまるよう祈ったところ、不思議にも疫病は鎮まった。それからこの地には社建てられ、人々の篤い信仰をうけるようになった。寛永年中(西暦一六二四年)小笠原候の入国後、この古社の御神徳が大きいため、社殿を改築し崇敬した。社紋に三蓋菱を用いるのはそのためである。

  • 投稿者mohayatada
    投稿日:訪問日:
    ⛩不老神社|福岡県 “見つけづらい神社”

    案内板や鳥居など何もなく石祠が一つあるだけ。御神体らしき石に「不老神社」と掘っていました。なぜこんな場所に?また、どんな謂れのある神社なのだろう?

得した電子御朱印