三重 仏教 仏尊

名称
阿弥陀三尊
中尊の阿弥陀如来から見て、そのに左脇侍に「慈悲」の観音菩薩と、右脇侍に「智慧」の勢至菩薩を配する形式の事を云う。また、三尊像を包み込むように大型の後背を付けたものを一光三尊(善光寺式阿弥陀三尊)と云われる。
朝熊岳
金剛證寺 - 阿弥陀三尊
- 伊勢市朝熊町岳548
- ★観光名所
攝取山
善光寺 - 一光三尊阿弥陀如来
- 伊勢市吹上1-11-34
一乗寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 四日市市水沢町2071
正信寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 鈴鹿市西玉垣町1463
光善寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 鈴鹿市徳居町1202
蓮花寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 鈴鹿市東玉垣町994
花山寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 松阪市西町2538
護法山
常念寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 松阪市中町1918
久善寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市大里川北町264
欣浄寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 四日市市尾平町3247
三縁寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 度会郡玉城町田丸325
如法山
常信寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 桑名市南寺町12
眞臺寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 松阪市新町887
東漸寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 四日市市中浜田町2-5
円光寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市藤方350
光源寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 四日市市中部11-3
日永山
興正寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 四日市市日永2-9-6
祥慶山
浄運寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市一身田上津部田864
太平山
願行寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 三重郡菰野町竹成2136
常教寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 松阪市白粉町465
報恩寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市北丸の内201
聖徳寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 鈴鹿市岸岡町2757
養元寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 鈴鹿市池田町1450-3
誓正寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 亀山市関町新所
法隆山
淨現寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市香良洲町1445
大仙寺
- 善光寺式阿弥陀三尊
- 伊賀市上野三ノ西町3241
栄松山
迎接寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 多気郡明和町大淀甲112
一乘山
教圓寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市阿漕町2407
専修寺
塔頭 玉保院 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 津市一身田町2812
紫雲山
光明寺 - 善光寺式阿弥陀三尊
- 松阪市駅部田町1438
三重の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
髙嶽山 盛傳寺跡|松阪市 “盛傳寺跡”
蓮ダムのダム湖の横の道を抜け、谷間の川沿いの道から中部電力の青田発電所手前くらいにある林道を上ったところにあります。
周囲の杉林が、この辺りだけ広葉樹林になっており、人為的なものが感じられます。
建物は既に無く、土台の石垣・石段などが残るのみで、かつての寺院があったことを示す石碑が建てられています。
石碑の裏の説明書き
「記
蓮ダム建設に伴い青田及び清瀬地区の
檀徒も転出のやむなきに至る 従って
当寺の維持が困難となり雲林寺と合併
することとなる
参百余年の長い歴史をここに閉じる
平成二年十一月 盛傳寺檀家一同」
青田(「おおだ」と読む)地区は、ダム建築による水没からは免れたものの、過疎化によりこれを機会に全戸移転、檀家もいなくなったことにより廃寺となったようです。
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