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大阪の新着口伝

  • 投稿者MIZUNO
    (176件)
    投稿日:訪問日:
    評価:4 ⛩少彦名神社|大阪市中央区 “「神農さん」です。”

    「神農さん」です。「神農(しんのう)」は、古代中国の伝承に登場する三皇五帝の一人で、人々に医療と農耕の術を教えたといわれています。神農大帝と尊称されていて、医薬と農業を司る神とされています。少彦名命とともに祀られています。

  • 投稿者神路 巡
    (78件)
    投稿日:訪問日:
    卍法福寺|阪南市 “お菊さん.”

    お菊は文禄4(1595)年、豊臣秀次と側室お督との間に生まれましたが、生まれて間もなく、秀次は太閤秀吉の怒りに触れ高野山に幽閉されたのち切腹を命じられ、母・お督も三条河原で斬首されました。お菊は生後間もないことや女であったため難を逃れ、祖父淡輪大和守徹斎の実家である波有手村の後藤家に預けられました。やがて成長したお菊が紀州の山口家に嫁いで数日後、夫・兵内は大坂夏の陣で和歌山城主浅野長晟に背き、豊臣側につき出陣しました。このため山口家は攻められ、お菊は大坂方の援軍を請うために密使として大坂城に向かい、使命を果たしました。しかし実家である後藤家に着いたお菊は山口一族の斬首、夫の討死を知らされ、自身も浅野方に捕らえられました。浅野は助命しようとしましたがお菊はそれを拒み、元和元(1615)年、処刑され短い生涯を閉じました。波有手村の後藤家の養母がお菊を哀れんで木像を作り後藤家の菩提寺である法福寺に納め冥福を祈りました。法福寺は寛政7(1795)年に火災で焼失し、お菊の木像もその際に焼失したのですが、安政5(1858)年に村人の手により新たに作られ、現在も祀られています。

  • 投稿者神路 巡
    (78件)
    投稿日:訪問日:
    卍正行寺|阪南市 “西鳥取観音堂”

    天正13(1585)年の秀吉の根来寺攻めのとき、波有手村にあった道弘寺の僧が反抗し斬首され、寺は焼かれたと伝えられ、焼け残った観音堂と二階堂は元禄年間(1688~1704年)に鳥取の村中に移されたといわれています。現在、鳥取の正行寺に建つ観音堂は天保14(1843)年、木村九衛門宗七の寄進により建てられたものです。