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大阪の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
安養寺|大阪市旭区 “安養寺の沿革”
安養寺の開創は古く、本来は大阪の南方村(現:東淀川区西中島)にありました。
明治40年柴島浄水場が拡張されることになり、当寺は境内地を収用されることになりました。その後当時のご住職正顕院日聞上人は、天神橋筋七丁目にお寺を移転し、新たに伽藍を建てられました。しかしそこも昭和2年に市電が通ることになり、またもや境内の約半分を収用されました。
ようやく落ち着いてきた頃、大東亜戦争(第二次世界大戦)がおこりました。国民皆兵が叫ばれる中、当寺の鐘楼も供出によりその荘厳な姿を見る事はできなくなりました。戦渦はますます激しくなっていき、当寺も昭和20年6月7日の大阪大空襲をうけ、一般の市民が一万人以上亡くなったといわれるこの戦禍により、全ての堂宇が焼き尽くされ、過去帳やお位牌もすべて灰塵と帰してしまいました。
さいわい御無事であられた日聞上人より法燈を継がれた本源院日学上人は、御弟子の日筧上人や、同じく疎開先で無事であった寺族とともに昭和24年5月、焼け野原となり、いまだ爆弾池などの戦争の傷跡の残る、現在の大阪市旭区高殿三丁目に仮屋を建てられ、時運の伸展を待つことにされました。
檀信徒の方の多大な外護により、戦後の厳しい時世の中にも関わらず、道場としての姿も戻っていき、昭和45年6月、ようやく寺運が拓け、本承院日筧上人はこの地に境内地半分と引替えに本堂庫裏を再建され、昭和46年7月4日、現在の堂宇が落慶されました。詳しくは、下記ホームページからご覧下さい。
http://www.eonet.ne.jp/~anyouji/index.html - 投稿日:訪問日:荒陵山
四天王寺|大阪市天王寺区 “日本が日本だで在り続けるのは太子さまのお陰”
難波宮があった頃…中国から入って来た船が目にしたのは、壮大な四天王寺の姿でした。横に広い「四天王寺式伽藍配置」は、日本が隷属する後進国ではない、という強いアピールになったそうです。 境内は大変広く見所満載ですが、日光東照宮の眠り猫と対を成す猫がいる門、探してみてください。