埼玉 所沢市

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熊野神社- 所沢市東狭山ケ丘5-2759-2-3
武照山法瑠寺 - 所沢市狭山ヶ丘2-624-23

全徳寺- 所沢市北野2508
密厳院- 所沢市山口2045
海蔵寺- 所沢市山口2725

吉祥院- 所沢市東狭山ケ丘5-2724

新光寺- 所沢市宮本町1-7-3

藤森稲荷神社 - 所沢市北野南2-28-55

長栄寺- 所沢市牛沼58

長久寺- 所沢市久米411

来迎寺- 所沢市山口1392

星見山清照寺 - 所沢市上山口439

松林寺- 所沢市林2-147

糀谷八幡宮 - 所沢市糀谷78

堀口天満天神社 - 所沢市上山口436

三ヶ島稲荷神社 - 所沢市三ケ島3-885-1
亀谷神社- 所沢市東所沢3-33-8

昌平寺- 所沢市旭町22-8

鳩峯八幡神社 - 所沢市久米2429
稲荷山寳玉院 - 所沢市三ケ島3-1167

長坂山常楽院 - 所沢市三ケ島2-667

法華寺- 所沢市元町12-2
大聖寺- 所沢市久米2293-12

宝塔山多聞院 - 所沢市中富1501

吾庵山金乘院 - 所沢市上山口2203
天神社- 所沢市坂之下64

神明社- 所沢市中富月野原1507
能安寺- 所沢市若狭3-2567
東光寺- 所沢市坂ノ下383

光蔵寺- 所沢市荒幡499
地域の祭り・行事一覧(2025年度)※
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
三ヶ島稲荷神社|所沢市 “三ヶ島稲荷神社”御祭神 倉稲之御魂神
三ヶ島稲荷神社の創祀年代は不詳ながら、新井家の祖先が宝玉院の南隣に祀っていたものを、宝永6年(1710年)宝玉院境内へ移して当地の鎮守としたといい、安永4年(1775)伏見稲荷大社の分霊を勧請したといいます。
明治維新の神仏分離に伴い、明治8年に旧地葛籠入六二〇(早稲田大学校地内)へ遷座、昭和25年、元湯殿社のあった地(旧照明院境内、南打出八八五番地)の隣接地である当地へ遷座したといいます。
https://tesshow.jp/saitama/tokorozawa/shrine_mikajima_inari.html
投稿日:訪問日:
中氷川神社|所沢市 “三ケ島中氷川神社”祭神 素盞嗚尊、奇稲田姫、日本武尊、大己貴命、少彦名命
境内社 八坂社、山王社、荒脛社、稲荷社
創建年代等は不詳ながら、崇神天皇の代に社託によって勧請、日本武尊東征の際に大己貴命・少彦名命の二柱を併せ祀ったといいます。足立郡大宮の氷川神社と西多摩郡氷川村の上氷川神社との中間に鎮座することから中氷川神社と称されるようになったといい、『神祇志料』や『旧神祠記』などの古書には、中氷川神社の鎮座地は三ヶ島とされていることから、当社が延喜式式内社の中氷川社だといいます。いつの頃からか長宮明神とも中宮とも称されて入間郡三ヶ嶋領の総鎮守だったといい、天正19年(1591)には社領10石の御朱印状を拝領、明治5年村社に列格していました。
https://tesshow.jp/saitama/tokorozawa/shrine_mikajima_naka.html
投稿日:訪問日:
熊野神社|所沢市 “狭山ヶ丘熊野神社”熊野神社<所沢市東狭山ヶ丘五-二七五九(三ヶ島新田字乙宮下)>
当地は、本村三ヶ島村の北にあり、三ヶ島新田と称している。『風土記稿』によると武蔵野新開の地で、寛文、延宝、元禄、宝暦と数度の検地が行われ、開墾も段階を経て実施された。
口碑によると当社は三ヶ島村の本村から当地の開発に来た氏子の平岡清家の屋敷神が後に村持ちとなって産土様と呼ばれるようになったものである。平岡家で熊野神社を屋敷神としていた理由は不明で、修験とかかわる伝承も見当たらない。当村開発時からといわれている家は数戸ある。往時は辺り一面の雑木林と草原で、しかもその土壌は砂地で、地下水も深くて井戸は二〇メートルほど掘らないと水に当たらなかったという。このため、村人は水の確保に苦労し、開墾後も耕地の大部分は畑地で、主にさつま芋と麦を栽培し、収穫後、神社でささやかな秋祭りを続けていた。
祭神は、素盞鳴命であり、内陣には白幣を祀る。
社地は、当社が村持ちとなることによって、氏子の中重吉・沢田左宮の先祖が所有地を神社に提供し、これに社殿を建立したが、戦後宗教法人法により登記するに当たり、この社地は両家から寄進された。
社殿は西を向き、屋根は昭和三一年に瓦葺きにするまで、麦藁葺きで、一〇年ごとに村中総出で葺き替えを行っていた。(「埼玉の神社」より)


賓客
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