埼玉 仏教 宗派・教義

曹洞宗
- 本山
吉祥山 永平寺 諸嶽山 總持寺
同一宗派・教義の寺院一覧
西光寺
- 比企郡小川町小川1277
勝林寺
- 越谷市増林2687
壱鑑寺
- 和光市下新倉796
真浄寺
- 蓮田市黒浜983
大円寺
- さいたま市見沼区風渡野335
東光寺
- さいたま市大宮区宮町3-6
昌福寺
- 上尾市弁財2-11-2
長龍寺
- 久喜市菖蒲町三箇999
曹源寺
- 東松山市本町1-5-3
長松寺
- 蓮田市関山3-2-27
長青寺
- 所沢市弥生町2868
妙安寺
- 東松山市岡1729
建福寺
- 羽生市南1-3-21
幸福寺
- 久喜市菖蒲町下栢間7
向陽寺
- 秩父市久那3568
長田寺
- 川越市岸町2-30-5
香林寺
- 春日部市内牧2454
明照寺
- さいたま市緑区中野田1667
雲祥寺
- 鴻巣市上会下229
浄春院
- 春日部市小淵2156
宝持寺
- 幸手市北1-2-31
円通寺
- 川口市赤井3-9-39
西明寺
- 東松山市野田359
常源寺
- さいたま市岩槻区表慈恩寺990
長栄寺
- 入間郡毛呂山町小田谷695
薬王寺
- 所沢市有楽町8-18
宝城寺
- 比企郡嵐山町志賀1478
萬松寺
- 東松山市柏崎341
長福寺
- 川越市鯨井1142
永泉寺
- さいたま市西区三橋5-1244
埼玉の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
埼玉の新着口伝
- 投稿日:訪問日:評価:5
氷川女體神社|さいたま市緑区 “氷川女體神社案内(案内板より)”
氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とと もに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の 時につくられたと伝えられている。
祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀さ れている。
大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸 王子社)とともに見沼とは深い関係にあり、祭礼の「御 船祭」は見沼の御上で行われていた。しかし、享保一二 年(一七二七)に見沼が干拓され、これに代わって出島で 「磐船祭」が行われるようになった。
この氷川女体神社には鎌倉、室町時代の社宝が多く、 三鱗文兵庫鎖太刀(国認定重要美術品)、牡丹文瓶子(県 指定有形文化財)、大般若波羅蜜多経(同)、神輿(同) は特に著名である。
江戸時代には社領五〇石が寄進されており、現本殿は 徳川家綱によって再建された。
また、境内の社叢は市指定天然記念物であるとともに 県のふるさとの森として保護されている。 - 投稿日:訪問日:評価:5
氷川神社|さいたま市大宮区 “氷川神社案内(参道案内より)”
氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。
当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、 「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇の とき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇し たと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、つい で称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進さ れた。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次 新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が 寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇 四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七) には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定めら れ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改 造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。 - 投稿日:訪問日:評価:5
調神社|さいたま市浦和区 “調神社由緒(境内案内板より)”
当社は天照大御神、豊宇気姫命、 素戔鳴尊の三柱を祭神とする 延喜式内の古社にして古くより朝廷 及び武門の崇敬篤く調宮縁起に よれば第九代開化天皇乙酉三月 所祭奉幣の社として創建され 第十代崇神天皇の勅命により 神宮斎主倭姫命が参向此の清ら かな地を選び神宮に献る調物を納 める御倉を建てられ武総野の初穂 米調集納蒼運搬所と定めらる。 倭姫命の御伝により御倉より調物 斎清の為め当社に搬入する妨げと 為、鳥居、門を取拂はれたる事 が起因となり現今に到る