埼玉 神道 祭神

櫛名田比売
大山津見神の子である足名椎命・手名椎命の娘。ヤマタノオロチの生贄にされそうになっていた所を須佐之男命に助けられ、退治した後は夫婦となり共に須賀の地で宮殿を建てたと云われる。
- 主な奉祭先
祇園 系列氷川 系列
氷川神社
- 櫛稲田姫命
- 川口市青木5-18-48
高徳神社
- 櫛稲田姫命
- 鶴ヶ島市太田ヶ谷617-1
氷川神社
- 稲田姫命
- さいたま市大宮区高鼻町1-407
- ★観光名所
川越
氷川神社 - 奇稲田姫命
- 川越市宮下町2-11-3
- ★観光名所
氷川鍬神社
- 稲田姫命
- 上尾市宮本町1-14
氷川女體神社
- 奇稲田姫尊
- さいたま市緑区宮本2-17-1
中山神社
- 稲田姫命
- さいたま市見沼区中川143
氷川神社
- 櫛稲田姫命
- 八潮市大瀬1501
氷川神社
- 稲田比売命
- 入間市小谷田1474
中氷川神社
- 稲田姫命
- 所沢市山口1850
草加神社
- 櫛稲田姫命
- 草加市氷川町2118-4
氷川神社
- 櫛稲田姫命
- 八潮市木曽根1092-8
中
氷川神社 - 奇稻田姫命
- 所沢市三ケ島5-1691-1
三芳野神社
- 奇稲田姫命
- 川越市郭町2-25-11
櫛引
氷川神社 - 希稲田姫命
- さいたま市大宮区櫛引町1-653
下ノ宮
氷川神社 - 奇稲田姫命
- 志木市下宗岡4-7-43
八坂神社
- 稲田姫命
- 入間市新久948
産財
氷川神社 - 奇稲田姫命
- 志木市中宗岡2-29-12
宿
氷川神社 - 奇稲田姫命
- 志木市上宗岡2-2-34
附島
氷川女体社 - 奇稲田姫命
- さいたま市緑区大間木1522
御祭り・行事一覧(2022年度)※
埼玉の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
氷川女體神社|さいたま市緑区 “氷川女體神社案内(案内板より)”
氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とと もに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の 時につくられたと伝えられている。
祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀さ れている。
大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸 王子社)とともに見沼とは深い関係にあり、祭礼の「御 船祭」は見沼の御上で行われていた。しかし、享保一二 年(一七二七)に見沼が干拓され、これに代わって出島で 「磐船祭」が行われるようになった。
この氷川女体神社には鎌倉、室町時代の社宝が多く、 三鱗文兵庫鎖太刀(国認定重要美術品)、牡丹文瓶子(県 指定有形文化財)、大般若波羅蜜多経(同)、神輿(同) は特に著名である。
江戸時代には社領五〇石が寄進されており、現本殿は 徳川家綱によって再建された。
また、境内の社叢は市指定天然記念物であるとともに 県のふるさとの森として保護されている。 - 投稿日:訪問日:
氷川神社|さいたま市大宮区 “氷川神社案内(参道案内より)”
氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。
当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、 「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇の とき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇し たと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、つい で称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進さ れた。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次 新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が 寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇 四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七) には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定めら れ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改 造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。 - 投稿日:訪問日:
調神社|さいたま市浦和区 “調神社由緒(境内案内板より)”
当社は天照大御神、豊宇気姫命、 素戔鳴尊の三柱を祭神とする 延喜式内の古社にして古くより朝廷 及び武門の崇敬篤く調宮縁起に よれば第九代開化天皇乙酉三月 所祭奉幣の社として創建され 第十代崇神天皇の勅命により 神宮斎主倭姫命が参向此の清ら かな地を選び神宮に献る調物を納 める御倉を建てられ武総野の初穂 米調集納蒼運搬所と定めらる。 倭姫命の御伝により御倉より調物 斎清の為め当社に搬入する妨げと 為、鳥居、門を取拂はれたる事 が起因となり現今に到る