埼玉 神道 祭神

宇迦之御魂神
『須佐之男命』と『大山津見神』との間の子で、兄神に『大年神』がいる。稲・穀物・食物の神、商売繁盛の神として有名である。『稲荷神』としても数多く信仰されている。総本社である『伏見稲荷大社』は日本でも最多の参拝者が訪れる。
御祀りをしている施設一覧※
敷島神社
- 祭神:倉稲魂大神
- 志木市本町2-9-40
久保稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 入間市久保稲荷4-3-23
東沼神社
- 祭神:倉稲魂命
- 川口市差間2-15-45
所澤神明社
- 祭神:倉稲魂大神
- 所沢市宮本町1-2-4
川口神社
- 祭神:宇迦之御魂命
- 川口市金山町6-15
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 秩父市上宮地町25-20
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 桶川市寿2-14-23
慈恵稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市浦和区常盤1-5-9
箭弓稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 東松山市箭弓町2-5-14
藤森稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 所沢市北野南2-28-55
廣瀬神社
- 祭神:倉稲魂命
- 狭山市広瀬2-23-1
若王子稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市浦和区高砂2-15-19
三角稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市浦和区本太3-27-1
富多神社
- 祭神:倉稲魂命
- 春日部市神間663
五社稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 越谷市南荻島3659
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 上尾市中新井65
笹岡大稲荷社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市浦和区常盤3-26-13
若泉稲荷神社 本殿
- 祭神:稲倉魂命
- 本庄市北堀209
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市中央区新中里4-17-25
八坂香取稲荷合社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 春日部市8-前1
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 越谷市弥十郎441
東本庄稲荷神社 奥宮
- 祭神:宇迦之御魂神
- 本庄市北堀
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 川口市領家2-14-15
出世稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 川越市松江町1-512
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- さいたま市大宮区土手町2-97
六塚稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 川越市元町2-8-12
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 蓮田市根金436
垳稲荷神社
- 祭神:宇賀之魂命
- 八潮市垳116-1
稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 三郷市半田430
浮島稲荷神社
- 祭神:宇迦之御魂神
- 川越市久保町626
埼玉の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)※
埼玉の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
氷川女體神社|さいたま市緑区 “氷川女體神社案内(案内板より)”
氷川女体神社は、県内屈指の古社で大宮氷川神社とと もに武蔵国一宮といわれてきた。社伝では、崇神天皇の 時につくられたと伝えられている。
祭神は奇稲田姫命で、大己貴命と三穗津姫命が合祀さ れている。
大宮の氷川神社(男体社)、大宮市中川の中山神社(簸 王子社)とともに見沼とは深い関係にあり、祭礼の「御 船祭」は見沼の御上で行われていた。しかし、享保一二 年(一七二七)に見沼が干拓され、これに代わって出島で 「磐船祭」が行われるようになった。
この氷川女体神社には鎌倉、室町時代の社宝が多く、 三鱗文兵庫鎖太刀(国認定重要美術品)、牡丹文瓶子(県 指定有形文化財)、大般若波羅蜜多経(同)、神輿(同) は特に著名である。
江戸時代には社領五〇石が寄進されており、現本殿は 徳川家綱によって再建された。
また、境内の社叢は市指定天然記念物であるとともに 県のふるさとの森として保護されている。 - 投稿日:訪問日:
氷川神社|さいたま市大宮区 “氷川神社案内(参道案内より)”
氷川神社は、社記によると代五代孝昭天皇の三年四月未の日の創立と伝えられる。
当神社は、古くから歴朝や武将の尊崇をあつめた由緒ある大社としてその歴史を誇っており、 「大宮」の地名もこの氷川神社に由来することは衆知のとおりである。
古くは景行天皇のとき、日本武尊が東征のおり当地に足をとめて祈願され、また成務天皇の とき、武蔵国造となった兄多毛比命が出雲族を引きつれてこの地に移住し、氷川神社を奉崇し たと伝えられる。その後、聖武天皇(七二四~四九年)のとき「武蔵国一の宮」と定められ、つい で称徳天皇の天平神護二年(七六六)には、朝廷から武蔵国では当社だけに封戸(三戸)が寄進さ れた。さらに醍醐天皇の延長五年(九二七)の「延喜式神明帳」には、名神大社として破格の月次 新嘗の社格が与えられている。
このほか、鎌倉時代には、治承四年(一一八〇)に源頼朝によって社殿の再建と社領三千貫が 寄進されたといわれ、足利、北条氏も相次いで尊仰した。その後、江戸時代の慶長九年(一六〇 四)には、徳川氏より社領三百石が寄進され、また、文禄五年(一五九六)と寛文七年(一六六七) には社頭の整備と社殿の造営が行われている。
その後、明治元年(一八六八)東京遷都に際し、当社を武蔵国の総鎮守「勅祭の社」と定めら れ、明治天皇みずから親拝になった。同四年官幣大社となり、同十五年に本殿・拝殿などを改 造し、さらに昭和十五年に本殿・拝殿・回廊などを造り変え、現在の景観となっている。
祭神は須佐之男命・稲田姫命・大己貴命。
例大祭は八月一日。そのほか神事の中で特に有名なのが十二月十日の大湯祭である。 - 投稿日:訪問日:
調神社|さいたま市浦和区 “調神社由緒(境内案内板より)”
当社は天照大御神、豊宇気姫命、 素戔鳴尊の三柱を祭神とする 延喜式内の古社にして古くより朝廷 及び武門の崇敬篤く調宮縁起に よれば第九代開化天皇乙酉三月 所祭奉幣の社として創建され 第十代崇神天皇の勅命により 神宮斎主倭姫命が参向此の清ら かな地を選び神宮に献る調物を納 める御倉を建てられ武総野の初穂 米調集納蒼運搬所と定めらる。 倭姫命の御伝により御倉より調物 斎清の為め当社に搬入する妨げと 為、鳥居、門を取拂はれたる事 が起因となり現今に到る