埼玉 M-60

挿絵

埼玉の新着口伝

  • 投稿者飛熊Z
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    ⛩熊野神社|所沢市 “狭山ヶ丘熊野神社”

    熊野神社<所沢市東狭山ヶ丘五-二七五九(三ヶ島新田字乙宮下)>
    当地は、本村三ヶ島村の北にあり、三ヶ島新田と称している。『風土記稿』によると武蔵野新開の地で、寛文、延宝、元禄、宝暦と数度の検地が行われ、開墾も段階を経て実施された。
    口碑によると当社は三ヶ島村の本村から当地の開発に来た氏子の平岡清家の屋敷神が後に村持ちとなって産土様と呼ばれるようになったものである。平岡家で熊野神社を屋敷神としていた理由は不明で、修験とかかわる伝承も見当たらない。当村開発時からといわれている家は数戸ある。往時は辺り一面の雑木林と草原で、しかもその土壌は砂地で、地下水も深くて井戸は二〇メートルほど掘らないと水に当たらなかったという。このため、村人は水の確保に苦労し、開墾後も耕地の大部分は畑地で、主にさつま芋と麦を栽培し、収穫後、神社でささやかな秋祭りを続けていた。
    祭神は、素盞鳴命であり、内陣には白幣を祀る。
    社地は、当社が村持ちとなることによって、氏子の中重吉・沢田左宮の先祖が所有地を神社に提供し、これに社殿を建立したが、戦後宗教法人法により登記するに当たり、この社地は両家から寄進された。
    社殿は西を向き、屋根は昭和三一年に瓦葺きにするまで、麦藁葺きで、一〇年ごとに村中総出で葺き替えを行っていた。(「埼玉の神社」より)

  • 投稿者飛熊Z
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    ⛩金刀比羅神社|入間市 “下藤沢・金比羅神社”

    金刀比羅神社(藤沢)は、入間市下藤沢にある金刀比羅神社(藤沢)です。

    金刀比羅神社(藤沢)は、鎌倉時代から代々神職を続け、藤沢村の名主も兼ね、村で唯一の井戸を所有していた沢田家が、井戸のそば邸宅内に(水神である)金刀比羅神を祀っていたといいます。

    諏訪社の祀られていた当地に沢田家が隠居所を設けた天保7年(1837)に当社も当地へ遷座、熊野神社(藤沢)と共に祀られてきているといいます。

    御祭神大名牟遅神(大国主命)、顕仁天皇(崇徳天皇)

  • 投稿者飛熊Z
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    ⛩堀兼神社|狭山市 “狭山堀兼神社”

    社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、当地において水がなく、苦しむ住民を見て、水を得ようと富獄(富士山のこと)を遥拝し、井戸を掘らせ、水を得ることができたため、浅間社を祭った、と創祀を伝えています。
    境内にある旧跡「堀兼之井」は県指定文化財であり、「随身門及び二神像」は、市指定文化財です。元旦祭、春祭、秋季大祭、天王さまには堀上囃子が奉納されます。
    境内社には、小御嶽神社、下浅間神社、八坂神社、井上稲荷神社、日枝神社、金毘羅神社、天満宮などがあります。

    主祭神:木花開耶姫尊
    合祀神:大山咋命・天照皇大神・迦遇突知命・素盞鳴男命・倉稲魂尊

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