東京 神道 祭神

火之迦具土神
伊邪那岐神(父)と伊邪那美神(母)の間に産まれた神。しかし火の神であった為に、出産をした伊邪那美神が火傷を負い死んでしまう。これに怒った伊邪那岐神に殺されてしまうが、火之迦具土神の流した血から数々の神が生まれる事になる。
- 主な奉祭先
愛宕 系列秋葉 系列
大泉
氷川神社 - 火生霊命
- 練馬区大泉町5-15-5
愛宕神社
- 火産霊命
- 港区愛宕1-5-3
愛宕神社
- 火之迦具土神
- 青梅市柚木町1-944
田柄
愛宕神社 - 迦具突智大神
- 練馬区田柄2-17-11
厳島神社
- 香具槌命
- 練馬区石神井台1-26-1
愛宕神社
- 軻遇突智命
- 多摩市愛宕1-64
愛宕神社
- 火之迦具土神
- 西多摩郡奥多摩町留浦
大島
愛宕神社 - 軻遇突智神
- 江東区大島2-15-4
愛宕神社
- 火産靈命
- 立川市栄町2-45-19
堀之内
愛宕神社 - 加具土神
- 八王子市堀之内253
愛宕神社
- 火産霊命
- 足立区青井1-16-13
飯倉
熊野神社 - 火之加具都知大神
- 港区麻布台2-2-14
須賀神社
- 軻遇突智神
- 武蔵村山市岸2-24-3
秋葉神社
- 火産霊大神
- 台東区松が谷3-10-7
狭山神社
- 軻遇突智神
- 東大和市狭山2-1326
宮益
御嶽神社 - 火之迦具土神
- 渋谷区渋谷1-12-16
鶴間
秋葉神社 - 火之迦具土神
- 町田市南町田1-5-21
大京神社
- 火之迦具土神
- 新宿区大京町6
愛宕神社
- 火之迦具土神
- 国分寺市北町2-13-5
久須志神社
・ 三峯神社 - 火産霊命
- 足立区千住3-22
秋葉神社
- 火産霊命
- 墨田区向島4-9-13
愛宕神社
- 火之迦具土神
- あきる野市入野808
小河内神社
- 火産霊神
- 西多摩郡奥多摩町河内149
若宮神社
- 迦具土命
- 日野市高幡352
秋葉神社
- 軻遇突知命
- 八王子市下恩方町1974
木曽
秋葉神社 - 火結神
- 町田市木曽西3-3-16
大島
稲荷神社 - 迦具土之命
- 江東区大島5-39-26
伊勢清峯神社
- 軻遇突智命
- 西多摩郡檜原村小沢3684
秋葉神社
- 火之迦具土神
- 青梅市仲町233
秋葉神社
- 火之迦具土神
- 青梅市黒沢3-1412
祭り・行事一覧(2023年度)※
東京の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
金龍山 信松院|八王子市 “歴史の光陰を垣間見る名刹”
開基の信松尼は俗名を松姫といい、かの戦国武将・武田信玄の四女に当たります。
織田信長の三男・信忠と婚約関係にありましたが、
兄・勝頼が信長と敵対したことで、破談となった悲話があります。
やがて一族の大半が織田方に寝返る中、松姫の実兄である仁科盛信は最後まで勝頼に味方し、
信州高遠城で皮肉にも信忠軍に攻められ、奮戦むなしく壮絶な最期を遂げました。
(信忠も同年、本能寺の変で父・信長と共に明智光秀に討たれています)
落城前に松姫ら一部の者は落ち延び、無事に八王子へ辿り着くと、
松姫は出家して信松院を建立し、一族郎党の菩提を弔ったのでした。
桜の名所・高遠城趾と共に訪れ、歴史のロマンに浸ってみるのも一興でしょう。 - 投稿日:訪問日:
百草八幡神社|日野市 “足腰や心臓の弱い方はご遠慮ください”
京王百草園(もぐさえん)の南隣に位置する八幡様で、
普段は無人のようですが、それなりの規模を誇り、境内は綺麗に管理されています。
百草園は室町時代以前に存在した「真慈悲院」という大寺院の跡地として有力視されており、
当神社も少なからず関係があったようで、境内には阿弥陀堂が在り、関連を窺わせる瓦も出土しています。
郷土史的にもなかなか見どころの多い神社ですが、問題は当地までの道のりです。
基本、最寄りの京王線百草園駅から徒歩での参拝となりますが、手前には都内屈指の悪名高い急坂が待ち構えています。
その最大勾配は、なんと24%!(目黒の行人坂が15%ですから、その厳しさは推して知るべし)
最初の長めの坂を登っていくと、百草園の案内板に突き当たりますが、
「あとひと息」という文句が曲者で、実はそこからが本番。
曲がり角を二度曲がった先の急坂を見た瞬間、心が折れること請け合いです!
手すりに掴まりながらでもヒイコラ言いながら登ることになり、
それなりに健脚の人でも相当きつい坂なので、足腰や心臓の弱い方にはとてもお薦めできません。
百草園を含め、来訪を目指す方は、それなりの覚悟を持って挑んでください。 - 投稿日:訪問日:
叡昌山 宗源寺|杉並区 “高井戸の地名由来?”
京王線桜上水駅北の甲州街道沿いに2軒並ぶ日蓮宗寺院の西側の寺ですが、本堂以上に注目されるのは、境内西側に鎮座する不動堂です。
この御堂は、かつて下高井戸2-3付近の存在した修験道高井山本覚院の境内にあったもので、歴代住職の家名から(あるいは高台にあったことから)「高井堂」と呼ばれ、それが高井戸の地名由来になったという説があります。
本覚院は明治5年の廃仏毀釈のあおりで廃寺となり、高井堂も長らく放置されていましたが、数十年を経た明治44年に堂内からなぜか宗源寺の扁額が発見され、その縁で宗源寺へ移築されたといいます。
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