和歌山 上古沢駅

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和歌山の御祭り・縁日・行事一覧(2021年度)

来 月内 容神社・寺院
10月16日(土)例祭⛩丹生都比賣神社

和歌山の新着口伝

  • 投稿者神路 巡
    (91件)
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    卍観音寺|御坊市 “お首さんについて”

    当寺は、東海近畿地蔵霊場の三十番札所である。
    天保十一年吉平という者が、近くの小山という土地を開墾していた時、一基の石棺を掘り当てた。石棺は粘土で厳重に密封されており、それを取り除いて中を確かめると、武器などの副葬品と共に一級の首が納められていた。底に小石を敷き詰め、板石を置いたその上に丁寧に安置された首級は、髪を首まで伸ばし、耳や鼻も腐り落ちずに残っており、ミイラのような状態であった。驚いた吉平が村人を呼んでこの首級をどうするか相談し、近くの観音寺の境内にあるいぶきの木の根元に、壺に納めて埋め戻した。首級が納められた石棺の状態などからして、この首級の主はおそらく身分の高い名のある武人であろうと推測したが、ついに時代、人物については特定できず判らないままである。
    埋もれていたところを見つけ、さらに寺に丁重に納めたためか、この首級を拝む者は首から上の病が平癒、参詣者が増えたため観音寺の境内にあった延命地蔵と合祀し御首地蔵尊として祀られるようになった。

  • 投稿者神路 巡
    (91件)
    投稿日:訪問日:
    卍満願寺|有田郡湯浅町 “醍醐寺金堂は当寺から移築”

    豊太閤が醍醐の花見を催すにあたり、金堂はじめ伽藍の移築・修復を高野山の応其上人に命じた。紀州攻めにより衰退した当寺本堂が解体され、醍醐寺の金堂とすべく湯浅から船で海路から淀川、山科川を経て醍醐寺まで運ばれた。ほどなく豊太閤が歿し、豊臣秀頼より慶長五年五月三日落成。百三十年ぶりに醍醐寺金堂は再興された。平成二十六年、湯浅町において五月三日を移築記念日とする「醍醐寺金堂の移築記念日条例」を制定。但し、湯浅町の何処にあったかは不明で、当寺もしくは奥之院であった勝楽寺のあった何れかの所ということらしい。

  • 投稿者神路 巡
    (91件)
    投稿日:訪問日:
    卍勝楽寺|有田郡湯浅町 “紀伊国屋文左衛門之碑のこと他”

    別所の薬師さん勝楽寺は元満願寺の奥之院で別所山薬師院勝楽寺といった。天正の豊太閤の紀州攻めにより衰退。のち浄土宗の僧により再興。別所は紀伊国屋文左衛門生誕地とも云われ昭和三十四年松下幸之助氏により紀伊国屋文左衛門之碑が建立。