名称・別称

神奈川カナガワ熊野神社クマノジンジャ

  • 熊野三社大権現クマノサンシャダイゴンゲン
挿絵

鎮座地

〒221-0044 神奈川県カナガワケン横浜市神奈川区ヨコハマシ カナガワク東神奈川ヒガシカナガワ1-1-3

  • 投稿者飛熊Z
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    評価:5 “東神奈川熊野神社”

    創建は、寛治元年(一〇八七)六月一七日に醍醐三宝院宮勝覚僧正が、紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野権現の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ケ谷山上)に社祠を創建、神奈川郷の総鎮守として、熊野三社大権現と号した。
    応永五年(一三九八)正月、山賊のため社祠を焼かれ、僅かな一小草祠の中に奉祠していたが、明応三年(一四九四)六月上杉建芳の被官上田蔵人入道が再建して旧観に復したが、永正七年(一五一〇)六月一一日の権現山の戦火に罹って焼失した。
    六〇余年を過ぎて、金蔵院の別当恵覧僧都が郷民に謀って再興した。
    慶長四年(一五九九)二月一〇日、徳川家康は金蔵院にあてて朱印地一〇石の寄進があった。正徳二年(一七一二)六月山上が遂次崩壊したので別当金蔵院の境内に遷宮し、旧地には小祠を安置し、これを本宮としたと伝へられる。
    然し、明治元年一月一日、この本宮も山上から当所に移した。
    同年一月七日神奈川宿の大火で類焼し、社殿・宝物、文書類の悉くが焼失した。
    その後、社殿は逐次復興し、明治六年一〇月三〇日村社に、一七年四月四日郷社に、四〇年四月三〇日神饌幣帛料供進社に指定された。同年一二月二四日猟師町の産土神村社諏訪神社と船玉社、慶運寺境内にあった無格社熊野三社大権現、斉藤分にあった無格社杉山神社、元字飯田町にあった無格社熊野大神、元吉祥寺境内にあった稲荷神社とその末社であった琴平神社を合併した
    明治のはじめ神仏混淆禁止の令により別当金蔵院から独立して以来社運益々隆昌を極めたが、昭和二〇年五月二九日の戦災により焼失、終戦後は駐留軍に境内地を接収され、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷共有地)に遷座、仮殿にて奉祀する。接収解除後昭和三八年八月現社殿を完成、玉垣・社務所を整備、翌三九年八月竣工奉祝祭を執行。(「神奈川区史」より)