名称・別称
楊柳山 西照院 法福寺
お 菊寺

所在地
〒599-0204
口伝一覧 全1件
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投稿日:訪問日:評価:0“お菊さん.”お菊は文禄4(1595)年、豊臣秀次と側室お督との間に生まれましたが、生まれて間もなく、秀次は太閤秀吉の怒りに触れ高野山に幽閉されたのち切腹を命じられ、母・お督も三条河原で斬首されました。お菊は生後間もないことや女であったため難を逃れ、祖父淡輪大和守徹斎の実家である波有手村の後藤家に預けられました。やがて成長したお菊が紀州の山口家に嫁いで数日後、夫・兵内は大坂夏の陣で和歌山城主浅野長晟に背き、豊臣側につき出陣しました。このため山口家は攻められ、お菊は大坂方の援軍を請うために密使として大坂城に向かい、使命を果たしました。しかし実家である後藤家に着いたお菊は山口一族の斬首、夫の討死を知らされ、自身も浅野方に捕らえられました。浅野は助命しようとしましたがお菊はそれを拒み、元和元(1615)年、処刑され短い生涯を閉じました。波有手村の後藤家の養母がお菊を哀れんで木像を作り後藤家の菩提寺である法福寺に納め冥福を祈りました。法福寺は寛政7(1795)年に火災で焼失し、お菊の木像もその際に焼失したのですが、安政5(1858)年に村人の手により新たに作られ、現在も祀られています。
