名称・別称
高野山 巴陵院
禁裏御所坊

所在地
〒648-0211
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投稿日:訪問日:評価:0“当寺について”大永年間後柏原天皇の第三皇子、青蓮院宮尊鎮法親王が住され、禁裏御所坊とも呼ばれている。当初福蔵院と称せしが、後、相馬、高木、伊達の大名家の菩提寺となり、承応2年相馬義胤の法名に因み巴陵院と改められた。
元、小田原谷安養院の南にあったが、昭和初期現在地に移った。
本尊は、鎌倉時代作の阿弥陀如来。
高野山で唯一、修験道の伝統を今に伝える寺院。高野山と修験道は、弘法大師が高野山開山前、吉野、大峯で修行されたことにあり。高野山では、壇上伽藍を管理する学侶、奥の院を守護する行人、全国へ布教する聖とに分かれていた。行人が修験の性格を持ち、この行人中有資格の寺衆が、金峯山奥の小笹に拠点を置く正大先達職を輪番で勤めており、その一つが巴陵院。元役行者霊蹟札所の一寺であった。
巴陵院山門は鎌倉時代の建立で、高野山の中で最古のもの。また、本堂には法螺貝と役行者像が安置。
寺宝には、親鸞聖人直筆の「時雨の御影」、日本最古の霊石といわれる本願石などがある。
六月の第一日曜日、紫燈大護摩が行われる。
また、円弁法師が唐船や高麗船などの貿易船の祈祷を行って以来、海上安全の祈願所になっている。
高野山唯一の国民宿舎(民営)で全国で二つの国民宿舎の宿坊であった。
