松山神社マツヤマジンジャ

挿絵

鎮座地

〒824-0013 福岡県フクオカケン行橋市ユクハシシ沓尾クツオ150

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平均評価(1件中): 5
  • 投稿者ひのえ
    (44件)
    投稿日:訪問日:
    評価:5“松山神社”

    沓尾の松山神社は、苅田松山城主の杉弾正弘信(すぎだんじょうひろのぶ)らの霊を祀るために、その重臣の子孫でありこの地の庄屋を代々務めた守田家の二七代当主房貫によって明治二十年代に建てられました。
     広大な境内には山県有朋の手による「江山豁如」(こうざんかつじょ)碑や三条実美(さんじょうさねとみ)の揮毫した神勅碑、松尾芭蕉の句碑などがあります。
    神社のある沓尾山の西側は平尾花崗閃緑岩(ひらおかこうせんりょくがん)とよばれる火成岩からなり、境内には「獅子岩」や「烏帽子岩」と名付けられた奇岩が見られます。
    松山神社の入口には「霊石」と呼ばれる巨石があり、上面にはこの石を切り出そうとしたノミの痕跡(矢穴)が残っています。
    松山神社周辺や北側の龍日売(たつひめ)神社の裏山は江戸時代からの石切丁場(いしきりちょうば)で、矢穴の残る石が多く見られます。ここから切り出された石材が、元和六年(1620)の大坂城天下普請のため、小倉藩主細川忠興(ほそかわただおき)の命で海路大坂まで運ばれていたことが古文書と現地調査によってわかりました。