神奈川 横浜市神奈川区

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地域の祭り・行事一覧(2025年度)

地域の新着口伝

  • 投稿者飛熊Z
    (125件)
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    ⛩白幡八幡神社|横浜市神奈川区 “白幡八幡神社”

    祭神 応神天皇
    創建年代は不詳であるが、口碑によれば、源義家奥州征討の途次、この地に寄って戦勝を祈られたと伝えられる。嘉永四年八月社殿を再建し、明治六年村社に列せられ、昭和九年改築、同五十一年御屋根葺替、境域の整備を完成し、白幡町全域の鎮守として崇敬せられている。(「神奈川区史」より)
    https://tesshow.jp/yokohama/kanagawa/shrine_shirahata_hachi.html

  • 投稿者飛熊Z
    (125件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩一之宮社|横浜市神奈川区 “横浜一之宮神社”

    祭神 素盞嗚尊、事代主命、保食命、面足惶根命、水速迺売命、等
    横浜一之宮神社は、永禄4年(1561)武蔵國一宮の大宮氷川神社を勧請して創建、一之宮大明神・一之宮明神社と称し、子安村の鎮守社だったといいます。明治初年村社に列格、明治41年七島の田圃稲荷、海辺通の東浜稲荷、中浜稲荷、西浜稲荷、西之宮、水神社、神ノ木の第六天等を合祀したといいます。
    https://tesshow.jp/yokohama/kanagawa/shrine_irie_ichinomiya.html

  • 投稿者飛熊Z
    (125件)
    投稿日:訪問日:
    ⛩神奈川熊野神社|横浜市神奈川区 “東神奈川熊野神社”

    創建は、寛治元年(一〇八七)六月一七日に醍醐三宝院宮勝覚僧正が、紀伊国(和歌山県)牟婁郡熊野権現の神霊を分祀、神奈川権現山(現幸ケ谷山上)に社祠を創建、神奈川郷の総鎮守として、熊野三社大権現と号した。
    応永五年(一三九八)正月、山賊のため社祠を焼かれ、僅かな一小草祠の中に奉祠していたが、明応三年(一四九四)六月上杉建芳の被官上田蔵人入道が再建して旧観に復したが、永正七年(一五一〇)六月一一日の権現山の戦火に罹って焼失した。
    六〇余年を過ぎて、金蔵院の別当恵覧僧都が郷民に謀って再興した。
    慶長四年(一五九九)二月一〇日、徳川家康は金蔵院にあてて朱印地一〇石の寄進があった。正徳二年(一七一二)六月山上が遂次崩壊したので別当金蔵院の境内に遷宮し、旧地には小祠を安置し、これを本宮としたと伝へられる。
    然し、明治元年一月一日、この本宮も山上から当所に移した。
    同年一月七日神奈川宿の大火で類焼し、社殿・宝物、文書類の悉くが焼失した。
    その後、社殿は逐次復興し、明治六年一〇月三〇日村社に、一七年四月四日郷社に、四〇年四月三〇日神饌幣帛料供進社に指定された。同年一二月二四日猟師町の産土神村社諏訪神社と船玉社、慶運寺境内にあった無格社熊野三社大権現、斉藤分にあった無格社杉山神社、元字飯田町にあった無格社熊野大神、元吉祥寺境内にあった稲荷神社とその末社であった琴平神社を合併した
    明治のはじめ神仏混淆禁止の令により別当金蔵院から独立して以来社運益々隆昌を極めたが、昭和二〇年五月二九日の戦災により焼失、終戦後は駐留軍に境内地を接収され、やむを得ず西神奈川一丁目(二ツ谷共有地)に遷座、仮殿にて奉祀する。接収解除後昭和三八年八月現社殿を完成、玉垣・社務所を整備、翌三九年八月竣工奉祝祭を執行。(「神奈川区史」より)