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洩矢神社|岡谷市洩矢神社
★諏訪に地で 起こったアナザー 国譲り★
もりや神社
諏訪地方の伝承に登場する洩矢神/モリヤシンを祭神としている創建年代は不詳の神社
洩矢神は旧橋原村の昔からいる産土神で諏訪大社上社に務めてきた守矢氏の遠祖とも言われています
【もう一つの国譲り】
国譲りとは古事記において天の国を司る天照大御神が地上を統べる大国主に地上の支配権を譲るよう迫った話
その際天照大御神側に抵抗したのが大国主の息子の建御名方神/タテミナカタノカミ
結局刺客に打ち負かされ最終的にここ諏訪の地まで逃げてきて、諏訪大社の祭神になったと古事記では伝えられています
ところが諏訪には古くから鎮座していた土着の神がいました
それが洩矢神です
命からがら逃げてきてこの地に辿り着いた建御名方神とはいえ、洩矢神からすれば地域を脅かす侵入者
両者の間には激しい戦いがあったと伝えられていますが、最終的に洩矢神は敗北し建御名方神に降服しました
その後、洩矢神は建御名方神に仕えることとなり、守矢氏がその後裔とされ、諏訪大社上社の神職を務めるようになったと伝えられています
尚、この神社はその戦いの際の洩矢神軍の陣地跡とされているようです
※建御名方神の陣地跡は三沢区にある藤島神社とされている
【藤島神社との祟り】
昔の話によると、洩矢神社はもともと天竜川のほとりにありました
そこには大きな藤の木があり、対岸の藤島神社の藤の木と絡み合って、まるで大きな橋のように見えるほどでした
あるとき、藩主が川で蛍狩りをするために藤を切るよう命じましたが、人々は神様の怒りを恐れて誰も切りたがりませんでした
そんな中で新屋敷の小石嘉右衛門という者が報酬目当てで藤を切るのですが、お約束通り罰が下りすぐに気が変になり亡くなってしまうのでした
さらに祟りはそこに留まらず藤を切る命令を出した藩主にもおよびます
藩主は神の怒りを鎮めるため城内にて祠を作り奉納しようとしましたが、大きく作りすぎて城門を通れなかったというコントのような展開に
(;^_^A
仕方なく祠を再度小さく作り直し奉納したのが現在の神社の本殿なのだそうです
【東方風神録の聖地】
東方風神録とは上海アリス幻樂団制作の弾幕系シューティングゲームの名前
ゲームストーリーは諏訪地方の神話・伝承がテーマの下地としており、登場人物に洩矢 諏訪子(もりや
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