狭山サヤマ八幡神社ハチマンジンジャ

挿絵

鎮座地

〒350-1305 埼玉県サイタマケン狭山市サヤマシ入間川イルマガワ3-6-14

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平均評価(1件中): 5
  • 投稿者飛熊Z
    (125件)
    投稿日:訪問日:
    評価:5“狭山八幡神社”

    御祭神 菅原道真公
    境内社 八雲社、琴平社、大鷲神社、入間川神社
    正慶二年西暦1333年に新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた時、義貞の守護神八幡大菩薩の像を成円寺に奉納して戦勝を祈願し、大勝を得たので、八幡大菩薩の像を神体として、社を造営した。
    後に、清水八幡と並んで新田八幡と呼ばれた。

    慶安二年に両八幡宮領五石一斗余、牛頭天王領三石七斗余、別当成円寺領一石余合わせて十石の朱印を受けた。

    その後入間川村に疫病が流行し、村人が多く亡くなったので、成円寺住職某は寺鎮守牛頭天王に祈り”五香湯”の薬方を得て、これを施し、患者を救う。
    この薬は近隣に聞こえ人々は争ってこれを求めた。

    この『縁起』に「新田八幡」と見えるのが当社である。
    本殿は享和二年の再建であり、周囲の壁面を中心に見事な彫刻に飾られている。
    正面扉脇彫刻裏に「上州勢多郡上田澤湧丸、並木源二襍訓作、享和壬戌夏六月彫之。
    上野國勢多郡深澤郷上神梅村、鏑木半二郎邦高彫之、享和二戌年六月ヨリ七月七日迄」の墨書がある。

    『明細帳』に「元来八幡八雲両社ハ真言宗成円寺ニテ進退シ来リシモノ明治二年住職錟光寺ヲ廃シ神主トナリ青田義寛ト称シ、同七年村社八幡神社ノ社掌トナレリ」とあり、明治期の事情がうかがえる。

    現在境内社となっている八雲神社は『縁起』の寺鎮守牛頭天王で、『風土記稿』に「牛頭天王社 社領三石七斗余、慶安二年御朱印、神体木像、村の鎮守」とあり、明治初めに社名を変更したものである。
    (「埼玉の神社」より)