厳島神社

- [社格]
旧 村社
御祭神※
口伝 全1件
投稿日:訪問日:評価:5“元町厳島神社”御祭神市杵島姫命(瀬織津姫)、多岐理姫命、多岐津姫命
境内社金毘羅神社、皇太神宮
当社の起源は古く、鎌倉時代初期に遡ると言われています。治承四年(1180)、源頼朝は、挙兵にあたり、西伊豆土肥の杉山に鎮座していた弁財天に戦勝を祈願しました。
願いが成就した後、頼朝は、茗荷島劔ヶ淵に神殿を造営し、伊豆より弁財天を勧請したと伝えられています。
この地は、後に横濱村(現在の関内周辺)となり、清水の湧水があったところから清水弁天、また洲干弁天と呼ばれるようになりました。その名は、今でも桜木町から関内へと渡る弁天橋に名残りを留めています。
元禄年間(1680-1703)になって増徳院(今の外国人墓地元町側、薬師堂のみ現存)境内に仮殿を作り、上之宮杉山弁天と称しました。御神体は、平日は上之宮に、祭日は下之宮清水弁天にお祀りすることになりました。
幕末・開港期には、この弁天社は横濱湊惣鎮守として多くの方々の崇敬を集めるようになります。万延元年(1860)、横濱村の住民は、居留地確保のため幕府が出した命令により、堀川東岸へ移転することになりましたが、移転先を横浜元村と名乗り、元町の礎を築きます。この時、今の山下町にあった浅間神社も元町百段上(現百段公園)へ移り、明治四十二年には合祀されることになります。
明治元年(1868)、清水弁天は羽衣町へと遷座。明治二年、杉山弁天は神仏分離令により増徳院から分離・独立し、嚴島神社として祀られることになりました。
大正十二年(1923)、関東大震災により、社殿は倒壊焼失。現在の社地へ移転、復興することになり、昭和八年(1933)の竣工を待って、正式遷座となりました。
しかし、昭和二十年(1945)五月の横浜大空襲で再び焼失。昭和二十六年に本殿を、三十六年になって拝殿を再建し、現在に至っています。
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源頼朝公・平清盛公も崇敬された厳島三女神様(市杵島姫命様=瀬織津姫様)を祀られ、
優しい雰囲気の漂う境内の神社様です♫
祭り・行事一覧(2025年度)※
| 時 期 | 内 容 |
|---|---|
| 1月1日(水) | 歳旦祭 |
| 1月3日(金) | 元始祭 |
| 2月2日(日) | 節分祭 |
| 2月17日(月) | 祈年祭 |
| 6月2日(月) | 例祭 |
| 時 期 | 内 容 |
|---|---|
| 8月不定期 | 神幸祭 |
| 10月17日(金) | 神宮神嘗祭・当日祭 |
| 11月15日(土) | 七五三祈請祭 |
| 11月23日(日) | 新嘗祭 |
| 12月31日(水) | 大祓/除夜祭 じょやさい |
鎮座地※
〒231-0861
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