生立ヶ里ウリュウガリ八幡神社ハチマンジンジャ

挿絵

御祭神

[推定]
品陀和気命ホムダワケノミコト応神天皇オウジンテンノウ
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    慶長十七年(1612年)
    投稿者石屋の倅
  • 写真写真
    ご神木と拝殿の間から見る肥前鳥居
    投稿者石屋の倅
  • 写真写真
    境内社といくつかの祠
    投稿者石屋の倅
  • 写真写真
    貫と扁額は補修されているかも、、、
    投稿者石屋の倅
  • 写真写真
    生立ヶ里(うりゅうがり)八幡神社
    投稿者石屋の倅

口伝 全1件

平均評価(1件中): 5
  • 投稿者石屋の倅
    (161件)
    投稿日:訪問日:
    評価:5“重文肥前鳥居についての説明版の補足”

    2023年11月末ほぼ破損状況にあるため書き写しております。

    小城市重要文化財
    慶長十七年銘入り肥前鳥居

    生立ヶ里(うりゅうがり)八幡神社の肥前鳥居は慶長十七年(1612年)に建てられたものである。この肥前鳥居を建立したのは持永助左衛門重盛である。
    持永氏は南北朝時代に下向した九州探題・今川了俊に繋がる家系であり、重盛自身は鍋島直茂の隠居付き八十三士の一人で後に小城鍋島藩初代鍋島藩主鍋島元茂の家来となった。
    この肥前鳥居は柱が二本継ぎ、笠木・島木は一本化し、貫と共に三本継ぎの構造となっている。様式的には背が低く直線的で厚みのある笠木・島木部分と貫の間は狭い。
    柱は太くて短く重量感がある。
    「肥前石工の発祥地」である小城市牛津町にとって、この肥前鳥居は代表的石造物と位置付けられ、砥川石工の研究を進めるうえでは貴重な文化財である。

    平成二十一年三月小城市教育委員会

鎮座地

〒849-0301 佐賀県サガケン小城市オギシ牛津町乙柳ウシヅチョウオトヤナギ687

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