秋田 大館市

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立昌寺
- 大館市比内町独鈷独鈷67
本宮寺
- 大館市本宮熊ノ下14
大日神社
- 大館市比内町独鈷大日堂前8
日吉神社
- 大館市餌釣山王岱16
諏訪神社
- 大館市花岡町神山107
稲荷神社
- 大館市鉄砲場70
正覚寺
- 大館市比内町扇田南扇田66
根井神社
- 大館市花岡町根井下284
八幡神社
- 大館市沼館稲荷下55-1.58
神明社
- 大館市餅田下野83
玉円寺
- 大館市相染沢中岱14
長泉寺
- 大館市比内町扇田南扇田13
上代野神社
- 大館市上代野八幡台5
養牛寺
- 大館市比内町笹館笹館185
冷水神社
- 大館市山田茂屋一通33
上岩瀬稲荷神社
- 大館市岩瀬上岩瀬34
田ノ沢稲荷神社
- 大館市岩瀬田ノ沢志賀渡67
熊野神社
- 大館市中山中山86
八幡神社
- 大館市早口中仕田3
岐美二柱稲荷神社
- 大館市花岡町神山208-2
桂清水神社
- 大館市比内町笹館伊勢堂31
三嶽山神社
- 大館市比内町中野東長内沢102
羽貫谷地稲荷神社
- 大館市岩瀬羽貫谷地中島38
本門法華教会
- 大館市比内町扇田伊勢堂岱50
稲荷神社
- 大館市花岡町土目内145
稲荷神社
- 大館市二井田四羽出22
稲荷神社
- 大館市早口出口149
稲荷神社
- 大館市釈迦内山道上28
山神社
- 大館市釈迦内塚ノ台1
諏訪神社
- 大館市大茂内諏訪台89
秋田の御祭り・行事一覧(2022年度)※
秋田の新着口伝
- 投稿日:訪問日:
七座神社|能代市 “縁起(秋田神社庁より…)”
今から約1300年前の斉明天皇4年、阿倍比羅夫が水軍を率い、蝦夷征伐のためこの地まで赴いた。
この軍に対し、齶田(アギタ)・渟代(ヌシロ)・肉入籠(シシリコ)の蝦夷は『私たちは弓矢を持っていても決して敵対するものではない。「齶田の浦神」(七座山天神宮)に誓って申し上げる』と許しを乞うた。
首長「恩荷(オガ)」のこの言葉に、比羅夫は彼等の降伏を認め、馳走してねぎらい、七座神社には船一そうと五色の綵帛(しみのきぬ)を奉納して、この地域の平和と発展を祈願したという。(日本書紀)
また、天正18年、豊臣秀吉が北條氏を討ち果した際、故あって織田信雄公が秋田に流された。
その時、家臣浜田与衛門が主君のため一心に七座天神宮に祈願し、その御加護によって無事帰ることができたと伝えられている。
藩主佐竹公も、代々七座神社を信奉し、巡国のたびに詣で、掛軸や刀剣類を奉納し、社殿の造営にも多額の募財を献じている。
明治15年、県社に列せられる。
もともと、境内から米代川原に通ずる石段を上り下りしての参拝だったのは、阿倍比羅夫が船を繋いだという故事によるものであり、今なおその古ぼけた43段のきだはしは、信心の篤い崇敬者の「お参りの道」となっている。 - 投稿日:訪問日:
大日靈貴神社|鹿角市 “ユネスコ無形文化遺産”
大日堂舞楽(だいにちどうぶがく)は、秋田県鹿角市八幡平の大日霊貴神社(=大日堂)に伝わる民俗芸能。毎年1月2日に奉納される。「舞楽」の名称がつけられているが、地元ではザイドウ(祭堂、在堂)あるいは大日堂祭堂と別称されており、宮中や大社などで伝承される舞楽(舞を伴った雅楽)とは異なるもの。
舞を担うのは「能衆(のうしゅう)」と呼ばれる舞人らで、旧家を中心に四つの集落(小豆沢、大里、長嶺、谷内)がそれぞれの舞を分担して継承している。当日、能衆らは早朝より舞台元の舞(神子、神名手、田楽、権現の舞)を行ってから隊列を組んで大日堂へ参進し、午前8時の修祓を経て神社の階下や堂内にて舞・儀式・祭典を繰り広げる。次いで9時40分頃より本舞に入り、正午までにはすべての舞を納める。本舞は権現舞に始まり、駒舞、烏遍舞、鳥舞、五大尊舞、工匠舞と続き、田楽舞で終わる。
718年(養老2年)行基が大日堂再建の折りに舞楽を奉納したのが始まりともいわれるが、創始に関しては不明とされている。大日堂については大日如来に帰依して長者となった「だんぶり長者」の娘が両親を弔うために建てたとの伝説がある。
1976年(昭和51年)に重要無形民俗文化財の国指定を受け、2009年(平成21年)にユネスコの無形文化遺産に登録された。
新年を表す季語「大日詣(だいにちまいり)」は大日堂舞楽のこと。 Wikipediaより…。