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かかし

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会員見聞録

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静岡県
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愛知県
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東京都
1件

投稿した口伝

  • 投稿者かかし
    投稿日:訪問日:
    ⛩猪鼻湖神社|静岡県 “猪鼻湖神社”

    ★鵺と猪が駆け抜けた伝説の地、願いごとは静かに湖へ★

    猪ノ鼻湖 イノハナコジンジャ

    浜名湖と猪鼻湖をつなぐ細い水道「猪鼻瀬戸」に静かに佇む小さな社で、朱色の太鼓橋が印象的な風景の中でしっかりと主張しています

    橋の赤が湖の青に映えて、まるで "写真のために存在" しているかのようですが、実はこの地に根を張る信仰の象徴でもあります

    湖上に突き出した巨岩「獅子岩」または「猪鼻岩」をご神体とし、波と風と太陽の光が交錯する姿は、自然そのものが祭壇を整えてくれているようです

    創祀年代は不詳ながら、周囲には弥生後期の遺跡が点在し、太古の人々が湖を前にして手を合わせた情景を想像すると、歴史の深さがじんわり伝わってきますね
    ( ・`ー・´) +

    ご祭神は武甕槌命と市杵島姫命で、市杵島姫命は弁財天としても知られ、湖の神社らしく水や芸能、そして縁のご利益に恵まれています

    社伝によれば文化元年(1804年)に修理した棟札が残り、南北朝の時代には浜名左近大夫清政が再建したと伝わります

    平安時代の超絶古い神社リスト『延喜式神名帳』にも記載されるなど、見た目こそ控えめながら歴史的ステータスは意外と高めです

    古記録には「景行天皇十九年、猿田彦神を祀る」とあり、時期によって主祭神が入れ替わった柔軟さもまた、この地らしいおおらかさを感じさせます

    「猪鼻」という地名は天狗顔の猿田彦神を思わせ、しかも海童神説まであるという多神対応ぶり、神々の合同出張所のような雰囲気すらあります

    ご利益は天下泰平、家運隆昌、海運安全、五穀豊穣、縁結びと幅広く、特に水辺で働く人々には欠かせない信仰のよりどころとして親しまれています

    赤い橋を渡ると湖面がきらめき、風が衣を揺らすたびに、古代からの祈りがそっと背中を押してくれるような気がします

    小さな社ですが、スケールは湖並みに大きい、そんな誇りを静かにたたえる神社です

  • 投稿者かかし
    投稿日:訪問日:
    ⛩焼津神社|静岡県 “焼津神社”

    1600年以上の歴史を持つと伝えられる焼津神社

    主祭神は日本武尊/ヤマトタケルノミコトで、日本神話の英雄として知られる神さまです

    伝承によると、日本武尊は東征の途中、この地で賊の火攻めに遭いました

    しかし彼は草薙剣/クサナギノツルギを抜き、草を薙ぎ払い、さらに向かい火を放って敵を討ち滅ぼしたといわれています

    まるで古代の戦記映画のような劇的な場面
    この出来事に由来して、この地は「ヤキツ」と呼ばれるようになりました

    『日本書紀』では焼津、『古事記』では焼遣と記されており、これが現在の「やいづ」という地名の起源とされています


    ただし、『日本書紀』ではこの「ヤキツ」を駿河国とし、『古事記』では相武国(相模国とも)とするなど、記述に違いがあります

    これについては誤記説や、相模国が古くは駿河を含む広い領域を指したとする説、または駿河と相模の両方に「ヤキツ」が存在したとする説などがあり、いまだ明らかではありません

    『焼津市史』では、『日本書紀』の記述の方が原初的で、『古事記』の方は後世の加筆が見られるとされています

    『万葉集』にも「焼津邊/ヤキヅノヘ」を詠んだ歌があり、古くからこの地名が人々に知られていたことがうかがえます


    学術的には、日本武尊は実在の人物ではなく、各地の英雄伝承をまとめた象徴的存在と考えられています

    「焼津」という地名も、もともと「ヤキツ」と呼ばれていた土地に伝説が重ねられたものとされています

    一説では、焼津地域に天然ガスが多く、かつて自然発火が絶えなかったため「焼ける地=焼津」となったとの説も

    自然の炎が生んだ地名に、神話の炎が重なった――そんな不思議な縁を感じさせます

    ですがやはり日本武尊に絡んだ説の方が夢があっていいですね
    (^―^)


    かつて焼津神社は現在地の南東に鎮座していましたが、土地が海に沈み、のちに現在の場所へ遷座したと伝えられています

    海とともに生きる町らしい逸話

    現在の焼津神社は、厄除開運・勝運の神として、また港町らしく海上安全・大漁満足の神として信仰を集めています

    毎年八月の例大祭は「東海一の荒祭」として知られ、勇壮な神輿(みこし/ミコシ)が街を練り歩き、その迫力はまるでかつて火の中を駆け抜けた日本武尊の勇姿を再現しているかのようです

  • 投稿者かかし
    投稿日:訪問日:
    ⛩土肥神社|静岡県 “土肥神社”

    ★願いごと 木のあいだから すり抜けて★



    古代から土肥の地を見守り続ける総鎮守であり、その歴史は平安時代以前にまでさかのぼるほど古いといわれています

    御祭神は豊御玉命/トヨミタマノミコト

    相殿に仁徳天皇/ニントクテンノウ、さらに益田別命/マスダワケノミコトなどを祀り、かつては「土肥大明神」と称されていました


    『延喜式神名帳』(927年に編集された最古の神社リスト)にリストアップされている超絶古参の神社であり、平安時代からあったとされます

    この神社が現在の姿をとるようになったのは、建久6年(1195)に土肥城主・富永氏が鎌倉の鶴岡八幡宮から八幡神を勧請し、若宮八幡宮を相殿に祀ったことによります

    以来、土肥神社は八幡宮としての性格も色濃く残し、地元では親しみを込めて「はちまんさん」と呼ばれているようです


    境内に一歩足を踏み入れると、まず出迎えてくれるのは推定樹齢千年を超える巨大なクスノキ

    その高さはおよそ16m、幹周りは11mにも達しもはや神そのもののような風格を漂わせています

    しかもこのクスノキ、隣のイヌマキの木とまるで恋人のように寄り添いながら成長しており、二本の木の間を願いを込めてくぐると願いが叶うという、ロマンチックな言い伝えまであるそうです

    縁結び、学業成就、商売繁盛など、どんなお願い事も受け止めてくれそうな包容力を感じますね
    ( ̄ー ̄)ニヤリ


    昭和33年(1958)には社殿が再建され、切込み接ぎの技法で組まれた美しい石垣とともに、凛とした姿で参拝者を迎えています

    社殿前には表情豊かな狛犬が鎮座し、それぞれ足元にはちょっとした“個性”があるので、見比べてみるのも楽しいポイントです


    秋の例大祭は土肥神社のハイライト

    毎年10月に行われるこの祭りでは、屋台の曳き回しや土肥太鼓の奉納、さらには流鏑馬を模した神事も披露され、普段は静かな境内が一気に熱気に包まれます

    伊豆水軍ゆかりの地らしく、勇壮な太鼓の響きが夜の町にこだまし、海風とともに祭りの興奮を運んでくれます


    また、1月上旬には早咲きの「土肥桜」が境内を彩り、一足早い春の訪れを感じさせてくれます

    宮司さん曰く土肥桜の方が河津桜より早く咲き、且つ長く楽しめるとの事

    ただ誰もそれを発信していないので知名度が圧倒的に低いと嘆いておられました
    (/ω\*)ウゥ…

得した電子御朱印