埼玉 狭山市

検索結果一覧

廣瀬神社- 狭山市広瀬2-23-1
入間川大国神社 - 狭山市入間川3-22-28

狭山八幡神社 - 狭山市入間川3-6-14
野々宮神社- 狭山市北入曽276
氷川神社- 狭山市青柳475

堀兼神社- 狭山市堀兼2221

明光寺- 狭山市根岸81
安穏寺- 狭山市狭山520-1

梅宮神社- 狭山市上奥富507
入間野神社- 狭山市南入曽641
金剛院- 狭山市南入曽460
白鬚神社- 狭山市柏原1153
八雲神社- 狭山市下奥富596-1
常泉寺- 狭山市北入曽315
永代寺- 狭山市柏原2492

天岑寺- 狭山市沢5-34
天満天神社- 狭山市入間川2-21-25
天覧山一燈仏子寺 - 狭山市笹井南八木3307
諏訪神社- 狭山市入間川4-2-41
宗源寺- 狭山市笹井455
白鬚神社- 狭山市根岸1
瑞光寺- 狭山市上奥富354
徳林寺- 狭山市入間川2-3-11
羽黒神社- 狭山市加佐志174
光英寺- 狭山市堀兼1228
白鬚神社- 狭山市笹井1962
丸山稲荷神社- 狭山市青柳241
慈眼寺- 狭山市入間川1-9-37
亀井神社- 狭山市下奥富1465
長源寺- 狭山市柏原2285
地域の祭り・行事一覧(2025年度)※
地域の新着口伝
投稿日:訪問日:
狭山八幡神社|狭山市 “狭山八幡神社”御祭神 菅原道真公
境内社 八雲社、琴平社、大鷲神社、入間川神社
正慶二年西暦1333年に新田義貞が鎌倉の北条高時を攻めた時、義貞の守護神八幡大菩薩の像を成円寺に奉納して戦勝を祈願し、大勝を得たので、八幡大菩薩の像を神体として、社を造営した。
後に、清水八幡と並んで新田八幡と呼ばれた。
慶安二年に両八幡宮領五石一斗余、牛頭天王領三石七斗余、別当成円寺領一石余合わせて十石の朱印を受けた。
その後入間川村に疫病が流行し、村人が多く亡くなったので、成円寺住職某は寺鎮守牛頭天王に祈り”五香湯”の薬方を得て、これを施し、患者を救う。
この薬は近隣に聞こえ人々は争ってこれを求めた。
この『縁起』に「新田八幡」と見えるのが当社である。
本殿は享和二年の再建であり、周囲の壁面を中心に見事な彫刻に飾られている。
正面扉脇彫刻裏に「上州勢多郡上田澤湧丸、並木源二襍訓作、享和壬戌夏六月彫之。
上野國勢多郡深澤郷上神梅村、鏑木半二郎邦高彫之、享和二戌年六月ヨリ七月七日迄」の墨書がある。
『明細帳』に「元来八幡八雲両社ハ真言宗成円寺ニテ進退シ来リシモノ明治二年住職錟光寺ヲ廃シ神主トナリ青田義寛ト称シ、同七年村社八幡神社ノ社掌トナレリ」とあり、明治期の事情がうかがえる。
現在境内社となっている八雲神社は『縁起』の寺鎮守牛頭天王で、『風土記稿』に「牛頭天王社 社領三石七斗余、慶安二年御朱印、神体木像、村の鎮守」とあり、明治初めに社名を変更したものである。
(「埼玉の神社」より)
投稿日:訪問日:
堀兼神社|狭山市 “狭山堀兼神社”社伝によれば、日本武尊が東国平定の際、当地において水がなく、苦しむ住民を見て、水を得ようと富獄(富士山のこと)を遥拝し、井戸を掘らせ、水を得ることができたため、浅間社を祭った、と創祀を伝えています。
境内にある旧跡「堀兼之井」は県指定文化財であり、「随身門及び二神像」は、市指定文化財です。元旦祭、春祭、秋季大祭、天王さまには堀上囃子が奉納されます。
境内社には、小御嶽神社、下浅間神社、八坂神社、井上稲荷神社、日枝神社、金毘羅神社、天満宮などがあります。
主祭神:木花開耶姫尊
合祀神:大山咋命・天照皇大神・迦遇突知命・素盞鳴男命・倉稲魂尊
地域の記事
- - 狭山市公式ウェブサイト広瀬神社




賓客


黄竜藤寅
飛熊Z
せんべい
熊三郎